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画像 タンザニア国立博物館正面



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【連載その2】『タンザニアの農村滞在と民族音楽』に同行して 
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(株)マイチケット 山田 和生
 8月17日より8月29日まで、南部アフリカネットワークが
呼びかけたタンザニアへの旅行に同行したレポートの2回目。
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■□■ 博物館の中庭の鉄くずについて ■□■

 ダルエスサラームの街の東に広がる官庁街の中に、タンザニア国立博物館がある。博物館の入り口にある一番目の展示のケースを覗くと、発掘された化石から復元した初期の人類の顔と対面する。そこには『初期の人類』と書かれている。ケースの下にあるボタンを押すと中の電気が消えてケースのガラスが鏡になる。鏡に映った自分の顔の下に『現在の人類』と書かれている。館内の展示は開放的で、楽器に触れたり太鼓をたたいてみたりすることもできる。人類の起源より始まり独立から現在に至る展示は、飾らないタンザニア流で圧巻である。
 室内の展示を見て明るい中庭に出ると、真ん中に転がっている赤茶けた錆色の鉄くずが目に入る。アメリカ大使館爆破の残骸である。98年にダルエスサラームにあるアメリカ大使館が爆破され、多くの死傷者が出た。痛ましい出来事ではあるが、この事件がタンザニアの通史の中で持つ意味は、せいぜい1枚のパネル程度のものであろう。中庭の中央には、奴隷貿易の歴史に関わるものか、マコンデ彫刻のようなすばらしい文化こそがふさわしいのではないか。いかにも場違いで無神経な鉄くずは、いったい何を意味しているのだろうか。

 話しはタンザニアからそれるが、真珠湾攻撃から50年に当たる91年、時の大統領初代ブッシュが真珠湾で演説をぶっているころ、我がオルタナティブツアーは、真珠湾にほど近いマカハ地区の先住民のコミニティーの人々とともに民衆の側の50年の歴史を語り合う『和解と癒しのための集会』を行った。この時、先住民の人々は真珠湾攻撃を『東京政府とワシントン政府の間の戦闘』と表現した。ワシントン政府とハワイ先住民の立場を異なるものとしてとらえ、真珠湾が政府の間の戦闘の戦場になり、これに巻き込まれて、ハワイアンや日系人が死傷したという立場であった。
 この視点で歴史を振り返ると、日清戦争は南京政府と東京政府が朝鮮半島を戦場にした戦闘であり、日露戦争は、モスクワ政府と東京政府が旧満州を戦場にした戦闘であるということになる。生活の場を踏みにじられ戦場にされた人々の側から戦争を考えてみると違う歴史が見えてくるのではないだろうか。
 タンザニアのアメリカ大使館爆破事件の犠牲者となったタンザニア人にとっても、アメリカ政府と反米テロ集団との戦闘に巻き込まれたという意味では、同様の問題である。アメリカ大使館の警備が手薄だろうという以外に、タンザニアがテロの舞台となる理由などだれも思い浮かばないのではないか。
 この場違いな展示が国立博物館の中庭にある理由を想像してみると、三つの可能性を思い浮かべることができる。
 まず、アメリカ政府がタンザニア政府に圧力をかけて反テロの国際協力に協調させるための証として押しつけたものであるのかもしれない。あるいは、目先の利くタンザニアの官僚が、この展示をアメリカ政府に持ちかけ、これをネタに金を引き出して私腹を肥やしたのだろうか。
おそらく真相はこのどちらかなのだろうが、第三国からの訪問者である私は、アメリカ政府と反米テロ集団の間で起こった迷惑きわまりない事件によって無関係のタンザニア人が死傷したことの記録としてあえて中庭に展示されているものと理解したいものである。

 アメリカ政府は『テロに対する報復』のために戦争を始めようとしているが、テロは犯罪であり、犯罪者は法によって裁かれねばならいない。犯罪に対する民主国会、法治国家の取るべき手段は法の裁きであって、決して報復の戦争ではない。
 これ以上、戦場となる人々の血がながされることがあってはならない。

次号に続く

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