
◆木の有る風景
軍の見張り所より38度線を望む その1
軍の見張り所より38度線を望む その2 緑豊かな非武装地帯
軍の見張り所より38度線を望む その3 イムジン江を望む
38度線を望む軍の見張り所で双眼鏡を覗く
◆遺跡周辺の森
高麗時代の王の墓の周辺の森は豊かである。 その1
高麗時代の王の墓の周辺の森は豊かである。 その2
手前の森は王の墓の周辺の森、遠景の山は、はげ山 その1
手前の森は王の墓の周辺の森、遠景の山は、はげ山 その2
◆非武装地帯の農村
非武装地帯の中にある水田と白い鷺の群(遠景のため白い点に見えるのが鷺)
非武装地帯の中にある農家
非武装地帯の中にある農場
◆農村
アヒルを袋に入れて自転車で運ぶおばさん
草を食べる山羊
荷車を引く牛
開城周辺の農村では有名な朝鮮人参の栽培が盛ん
田植え 都市からの援農も参加して
◆日照りの影響
干上がった朴淵の滝
朴淵の滝の滝壺
朝日新聞6月26日 豪雨を懸念 水防呼びかけ 北朝鮮メディア
中国遼寧省の瀋陽周辺の農村では、例年になく日照りが続き水不足で苦労しているという話を耳にした。今回の行程で、初日に1泊した瀋陽での滞在中のことである。
水不足の瀋陽からほんの1時間弱、高麗航空のロシア製の機体は高度5000メートルの空をひとっ飛び、平壌空港に到着する。北朝鮮では、千年に一度と言われる記録的な日照りが続いていた。
もう百日間も雨が降っていない。旅行中は明日の天気が気になるものだが、今回ばかりは、私たちが日本から梅雨を連れて行ったかのように小雨の日や夕立の日があったことが嬉しかった。しかしこの程度の雨は乾いた大地に吸い込まれてしまうのか、開城から北へ24kmにある朴淵の滝は水が涸れ、滝壺は小さな水たまりになっていた。
平壌から南へ向った私たちは北朝鮮の穀物地帯の平野を走り抜けることになる。北の国境に近い山地ではジャガイモが主になるようだが、南の平野で目に入る作物は、まず稲とトウモロコシである。
こんな日照りの中でも、一面に広がる水田は、田植えの真っ盛りであった。このあたりの稲作は、3月〜4月苗代、5月〜6月田植え、6月〜7月草取り、9月〜10月刈り入れとなる。一部では、二毛作のできる土地もあるそうだ。
車窓から大勢の人が水田の中で腰をかがめているのが見える。ほとんどの田植えは人手で行われている。田植え機を見たのはほんの数回
であった。農繁期には、都市の青年が各地の農場に援農に来ている。牛に引かれた鋤が田を耕し、畑では人々が鍬で畝をたてている。耕耘機を見かけることも珍しい。
畑ではちょうど麦が収穫期で、落ち穂広いに励む人々の姿が見られた。 ほんの一部の畑に、麦・キュウリ・キャベツ・大豆・茄子などが見られるが、水田以外の土地には一面、トウモロコシが植えられている。道ばたのちょっとした空き地や、線路の土手、山の斜面に至るまで、考えられるあらゆる土地にトウモロコシの葉が揺れている。党の指導で耕作に適した新しい土地を探す運動があったとのことだが、この運動は、隅々まで自主的主体的に徹底して行き渡っているようだ。トウモロコシはそのまま蒸して食べたり、粉にして、餅やパンのようなものを作る。平壌冷麺で有名な冷麺の原料にもなる。日照りの中で、トウモロコシを育てるためには、水を運ばなければならない。家の周辺のトウモロコシは人の背丈より大きく育ち、山の斜面のトウモロコシは30cmほどしかなく枯れかかっているものもある。このまま日照りが続けば、どうなるのだろうか。電力を使った灌漑設備を見ることはなかったが、設備のあるところでも、電力不足のために十分に機能しないそうだ。
堤防のない自然河川が多く見られる。堤防がある場合も石垣の堤は少なく、ほとんどが土盛りの堤である。コンクリートで固めた堤防を見ることはなかった。干上がった川の底にいくつもの穴が掘ってあるのに気づいた。まるで井戸のようになった川底から畑へ水を運んでいるのだろう。
アヒル、山羊、ロバ、犬、牛。開城周辺の農村で見られる家畜である。
水を張った水田にアヒルの群が泳いでいる。アヒルの子の行列をひきそうになってバスが急停車することもある。道路脇や、畦の草が見事に刈ってあるのは、農作業のそばに山羊をつないで草を食べさせているせいだろうか。ロバが荷車を引いている。牛は牛耕に使われ、犬は食用でもあるそうだ。
平壌、開城、板門店の168km。車窓からの風景は、延々とはげ山が続いている。どの山にも木がない。水田の向こうのなだらかな丘にも、高い山にも木が生えていない。はげ山は、所々、沢が崩れている。雨が降れば、水害が心配だ。「朝鮮戦争の時の米軍の軍事活動の影響で山に木がなくなった」同行のガイドの金さんの説明である。
山の村では薪を背負って歩いている人を見かけた。今でもわずかな木を切り出し薪を燃料としているのだろう。昔は家庭の燃料に薪やわらやトウモロコシの葉を使っていたというが、寒い冬を越すことができるほどはげ山から薪がとれるはずがない。今では、家庭での燃料は、石炭が主流となっている。
すべての山がはげ山かというとそうではない。数キロの幅で広がる非武装地帯と、高麗の王の墓の遺跡や朴淵の滝の周囲には、豊かな森がある。限られた空間に、この風土の本来の自然が残されている。山林の現状を朝鮮戦争だけに原因を求めるのは、少々無理があるのではないだろうか。
板門店の周囲の山々を見渡すことができる軍の見張り所に立つと、38度線の休戦ラインに沿って自然林の緑が豊かである。南側が作ったコンクリート障壁の遙か南の森の彼方にリムジン江が見える。フォーククルセイダーズが歌ったリムジン江の姿は、70年代に青春を迎えた私の世代にとってとりわけ感慨深い。「水鳥悲しく南の岸で鳴き 荒れた畑に空しく風が立つ 幸せの花咲く祖国の北の歌 リムジンの流れよ伝えておくれ」あの歌の二番の歌詞である。
非武装地帯の中にも水田があり、白い鷺が群をなして餌をついばんでいる。しかし、非武装地帯で見かけた白い鷺は、非武装地帯より北の水田で見かけることがなかった。森がないから住むことができないのか、撃たれて食べられてしまったのか。
北朝鮮には382種の鳥がいるというが、カッコウやヒバリの声を聞くことができるのに、雀やカササギより大きな鳥の姿がない。
