雲南の旅と古代米
古代稲研究会 副会長 かじわら米穀 会長 梶原 慶三
写真:民族衣装を着て見せてくれたアイニー族の兄妹
この秋10月、中国・雲南への旅に同行しました。タイ族(少数民族)の方々の農耕を中心とした生活を見せていただきました。
今は禁止されている焼畑農地の跡や、野生稲と言われている稲にもお目にかかれました。
私は日本語以外は読むことも話すことも出来ないのですが、当地の人々の生活が、今は日本では見られない程、過去の生活実体でした。これは、もし私のうんと昔のご先祖が、日本列島に渡来せずに大陸のどこかにいたら、子孫の私は、今、日本からの来訪者の訪問者を迎える立場であったのか、と大変彼らに親しみを感じました。 自然の中で、彼らの文化を守り乍ら、自然に生きている、トイレもなく、風呂もなく、栓をヒネッても水もガスも出るわけもない、然し、この事に何の不満も思わない彼らの自然人の生活、すばらしいものでした。
高度経済成長とやらで、金、金、金、誰も彼もが、利益や社会的名声や、地位を求め、インフレが充実した中で快適な生活に溺れこんだ生活、明るい快適な住いの中で、おいしい(何もかも加工精々されたインスタント的食品)ものを食べ、やわらかい高価な衣類を身にまとい、生活用具は便利きわまりない家電製品にうもれ、スイッチ一つで世界の情報が入って来る文化生活。
この文化生活が今の日本と言う先進国の国民の生活であり、私はこの生活に感謝しなければいけないと思います。だか反面エリートの中堅の人々の自殺が増え、子供から老人に至る迄、カウンセリングを受けねばならない人がどんどん増え、又、若い時から営々と働いて高齢になった方々が、何かむなしさを感じ、経済的に物質的にも恵まれながら、心から満足していない生活。これから逃れようと次々と新興宗教にのめり込む人が多い。最近問題の食中毒O−157は、清潔な住環境の国程被害が大きくなる。医療・医薬と病気やバイキンと追いかけっこと言う。この地には、こんな事がないとは思いませんが、見た目程の問題は起こっていないようでした。この地の人たちは劣悪と思える環境に耐える体力が自然にそなわっている。
文明・文化とは何なのか、文明・文化がどこまで人類を真実幸福に出来るのか?
どうやら私自信がノイローゼ気味になったのかな?
でも私はこの旅で、この地の人々と直接話は出来なかったし、通訳の方の話も関心なかったけれども、目と目で、表情を通じて、肌で感じあえたような事がしばしばありました。そして彼らの自然の中での自然に逆らわない生活に敬意を表せざるを得なかった。私はノートもろくにせず、質問もせず、只、肌で感じ、人間同志である、の一点だけを感じ必死でシャッターを切りました。
話をかえます。
私は訪問したシーサンパンナの人々が、米でたとえるなら、私共が古代米と称して販売しているお米との共通点を連想しました。人と米を同じ視点で見るのはおかしい話だが。
でも、古代米と称するお米は、野生の時代の稲が、現在の栽培稲がなくしてしまった特性を今も残しているお米です。その特性とは、くわしいことはまだ不明ですが、例えば色(赤、紫など)や、こうばしい香りです。見た目がたのしいだけの事でなく、これらの色素は大変健康によいと言われています。(日本食品分析センターの資料参照。)
コシヒカリはおいしい。然しコシヒカリや現在のお米は人間の味覚にあうように改良に改良を重ねたもので、この稲の性質上、農薬にたよらねばならない部分が大変多く、無農薬のコシヒカリはむつかしいと言われています。私に言わせれば、コシヒカリはお米の文明人?
これに対し、古代米は、全くゼロとは申しませんが、農薬や化学肥料にややなじまないと言われています。言うなれば古代米は雲南の少数民族の人々の生活に似た育成と言う訳にはいかないのかな、と思います。
自然に近い育て方か?文化的な育て方か?
そして、おいしいコシヒカリ等か?自然な古代米か?
選択はお客様のご判断でしょう。
チョット無理な解釈かな?
最後に、商売気を出して失礼しました。お許し下さい。
平成9年11月6日 合 掌