■これまでの歴史
●アジアの村を歩く、アジア農耕文化の会の活動
1980年代中頃、稲の伝播に関する研究で著名な渡部忠世京都大学名誉教授が中心になって、アジアを中心とした農耕文化の総合的な研究活動を振興するための団体として京都に農耕文化研究振興会が結成されました。
振興会の活動と並行して、90年代後半、研究者だけでなく一般市民も参加できるアジア農村でのフィールド調査の試みが始まりました。渡部教授が退官後一時教鞭をとった放送大学の社会人学生たちの多くがこの呼びかけに共鳴し、また、アジアの農耕文化に関心を抱く研究者や農業者、流通関係者も加わり、アジアの農村に生きる人々の生活と文化から学ぶアジア農耕文化の会が結成され、地道なフィールドワークが続けられました。『モンスーン・アジアの村を歩く〜市民流フィールドワークのすすめ』(家の光協会)は、その具体的な成果の一つです。
●ハワイ先住民族の村おこし支援、「タロイモ基金」の活動
一方、80年代の終わり、バブル経済の影響によってハワイでは日本企業の大規模な観光開発が、自然とともに暮らしてきたポリネシア系先住民族ハワイ人の生活と文化を脅かそうとしていました。このような文化的な危機に際して、ハワイ人の中から伝統のタロイモ農業を中心に生活と文化を再生しようとする村おこし運動が各地に広がりました。
この運動に共鳴したハワイ大学留学中の日本人研究者(山中速人中央大学教授ら)の呼びかけに応えた日本の市民たちによって、オアフ島ワイアナエ地区にあるマカハ農園(ホアアイナオマカハ)内に、先住民族の伝統文化を学び、太平洋の人々の出会いの場となる宿泊施設、ピースセンター(ハレオマルヒア)を建設しようという提案が出されました。
1991年12月7日、ちょうど真珠湾攻撃50周年の日に現地で開かれた日本ハワイ両市民による平和と和解の集会を皮切りに、日本とハワイの両方で募金運動が繰り広げられ、タロイモ基金(代表・領家穣関西学院大学名誉教授)のもとに集められた数万ドルの募金をもとにピースセンターが建設されました。完成式典は、1995年8月6日、広島原爆投下50周年の日に行われました。
このピースセンターは、以来、ハワイ先住民族の村、ワイアナエを訪れる世界中の人々を受け入れる施設として利用されています。
●戦乱で荒廃したカンボジアで伝統織物の復興を支援する「桑の木基金」の活動
タロイモ基金の活動を担った市民たちとアジア農耕文化の会の市民たちとの間には、渡部教授がタロイモ基金に共鳴し、募金運動に協力したことがきっかけとなり、共感に支えられた連携が築かれていきました。
そんなとき、アジア農耕文化の会のフィールドワークに参加した市民たちは、戦乱で荒廃したカンボジアに再び伝統の養蚕とクメール織物を復興させようというクメール伝統織物研究所(代表森本喜久男)の活動に出会いました。この出会いをきっかけに、その復興の試みを日本側で支えるため、タロイモ基金の経験を活かした桑の木基金という新しい支援募金運動が始められました。
●アジア太平洋の村おこしを支える(NPO)特定非営利活動法人・アジア太平洋農耕文化の会の発足
タロイモ基金、桑の木基金、そして、アジア農村でのフィールドワーク。これらの活動に注がれる人々の知恵と力を結合し、「農」を基盤に生きようとするアジア太平洋の人々による村おこしをより効果的に支援することができないかと模索が続きました。そして、その活動を行う実行力をもった組織として、2000年3月、(NPO)特定非営利活動法人・アジア太平洋農耕文化の会を発足させることになりました。そして、その事務局は、民間の旅行社として、設立以来アジア・太平洋・ラテンアメリカなどの開発途上国への民間交流活動に取り組んできた株式会社マイチケット(代表取締役・山田和生)に置かれました。