1998年ツアー報告
アフリカの大地---タンザニアの農村滞在と民族音楽
「関西・南部アフリカネットワーク通信」21号(98年11月9日)より
 関西・南部アフリカネットワーク世話人 下垣桂二

『今年も13名でタンザニアに出かけてきました』
 7月31日〜8月16日の17日間、今年も「ネットワーク」の呼びかけで3回目のタザニア・ツアーを行いました。最初は申込が少なくて、実施できるかどうか心配でした。しかし、〆切間近になって急に参加者が増え、最終的には13名で出かけてきました。
 滞在中にダルエスサラーム市内の米国大使館が爆破されるという事がありましたが、その日の早朝に市内のホテルから村へ向けて出発した後のことでした。ツアー全体は今年も順調で、大きな事故や病気、日程変更などもなく無事に終わることができました。参加者のみなさん、現地で受け入れに関わってくださったみなさん、それ以外にも色々なかたちで協力してくださったみなさんに心から感謝いたします。
 アパルトヘイト(人種隔離政策)反対運動をしていた時代には考えもしなかったことですが、料金や乗り継ぎのことなどを総合的に判断して、今回は南アフリカ航空を利用しました。そして、たまたま往路で一緒だった中部大学教授の吉田昌夫さんから、乗り継ぎのジョハネスバーグ空港での待ち時間に、アフリカについての“特別講義”を受けることができました。タンザニアに着く直前に、さらに全員のイメージが豊かになったことは間違いありません。まったく予定外のことで、快く話してくださった吉田さんに感謝しています。
 参加者の顔ぶれは、年令でいうと10代から60代まで多様でした。しかし性別で見ると、ツアーリーダー以外は全員女性。これは、昨年もまったく同様でした。気にすることではないのかもしれませんが、2回も同じ状況が続くと、ちょっと不思議に思ってしまいます。
 来年の夏も、たぶんタンザニア・ツアーを呼びかけることになるでしょう。そのときは、これを読んでくださったみなさんが、今度はご自分で参加して体験してみてください。お待ちしています。      


『タンザニアの旅に参加して』増井牧子

 関西・南部アフリカネットワークが呼びかけるタンザニア・ツアーのことは以前か

ら知っていました。案内チラシを見るたび、叶わぬ思いで溜息をつくのが常でした。

行けないものと思い込んでいたこのツアーに参加申し込みをしたのは、〆切も過ぎよ

うとする頃でした。長期休暇がもたらす仕事仲間へのしわ寄せには、ぐっと目をつぶ

ることにしました。きっかけは、6月に携わった「アフリカン・サウンド・パフォー

マンス」でした。

☆ ザウォセの音楽に魅せられて

 私は、小さな町の小さな文化施設で仕事をしています。そこでは、異文化に学ぼう

と民族文化に触れる試みを重ねてきました。上の催しもそのひとつで、タンザニアと

セネガルとマリ、それぞれの伝統楽器のマエストロを紹介するというものでした。

 タンザニアからやってきたのはフクウェ・ザウォセで、私が彼のコンサートに関わ

るのは、これが三度目でした。そのたびに深く魅了されながら、現地で彼の音楽を聴

いたことは、ただの一度もなかったのです。舞台では愛嬌たっぷりの若々しいザウォ

セですが、今年60才になったと聞き、お互いが元気なときに現地で彼の音楽に触れた

いという思いが強く湧いてきました。何よりも、私は押さえようもなくアフリカに行

きたかったのです。

☆ 11年前にもタンザニアに滞在

 私にとっては二度目のアフリカでした。かつてタンガニーカ湖のほとりの森で2年

間を過ごしました。チンパンジーの調査のため夫のアフリカゆきが急に決まり、あれ

よあれよという感じで私は仕事を辞め、小学1年だった息子も退学して同道したので

した。

 森の動物たちを隣人に、電気もガスも水道もない奥地での日々は、焚き火をつつい

ているうちに、あっというまに過ぎてゆきました。茫然としてアフリカにやってきた

私は、やはり茫然として帰国の途についたのでした。

 それから11年が経っています。その頃に見た町や村のたたずまいは昔と同じだろう

か、人々の暮らしぶりやありようは今どんなふうなのだろう。それをぜひ見たいと願

いました。

☆ ゆっくりと順調な旅

 8月1日早朝、ヨハネスブルグでアフリカ大陸に着地したときには胸がドキドキしま

した。夜、ダルエスサラム空港に降り立ったときには更にドキドキしました。外気を

深く吸って、そうそうこんなにおいだったと感慨深い気持ちでいるうちにグビさんと

アレックスさんの出迎えを受け、2週間余りのタンザニアの旅が始まったのです。

 ダルエスサラム、ザンジバル、ミクミ公園、キンゴルウィラ村、バガモヨ。ケニヤ

とタンザニアで同時に起こった、アメリカ大使館爆破という大事件を間にはさみなが

らも、私たちの旅は大きな問題もなく進みました。日本のように万事にきっちりした

国と違って、すべてが大まかなこのような国で、さしたるトラブルもなく物事が進ん

でいくのは驚きでした。

 これは受け入れ側の金山さん、根本さん、グビさん、アレックスさんたちの心配り

のたまものです。お陰で、旅につきものの椿事でエネルギーを磨り減らすということ

もなく、見るもの、出会うことがらをじっくり味わうことができたのです。

☆ 多くを教わり、気づかされた

 普通の人々の普通の暮らし、衣食住のありようを見たいと願っていた私にとって、

ザンジバルの町とキンゴルウィラ村で、それぞれ3日ずつを過ごすことができたのは

幸いなことでした。

 特に、電気や水道の整っていないキンゴルウィラ村でグビさんの家に民泊したとき

には、中庭の焚き火小屋を中心にして立ち働く奥さんのアミイさんやその家の女の人

たちから、食べものをはじめ暮らしのさまざまなことを教わりました。毎朝決まって

夜明けと共に聞こえてくるのは、家の周りを掃き清める彼女らのほうきの音でした。

 また、東アフリカの民族衣装、カンガについては、その多様な使用方法をまぢかに

見もし、教わりもしました。充分な着替えを用意していなかったこともあって、私自

身、旅の間じゅうカンガを着用していたのですが、それがどんなにその土地に合った

優れた万能布であるか、アフリカの風土の中で身をもって知りました。カンガを身に

つけていたお陰で、いろんな人が声をかけてくれ、土地の人とのコミュニケーション

作りにも役立ったのです。

 旅の最後の楽しみだったバガモヨ村でのザウォセのコンサートは、残念ながら本人

は出場せず、彼が率いる家族音楽集団「チビテ」グループによるものでした。夕暮れ

てゆく空の下、牛も山羊も豚も鶏も犬も同居する、のどかなザウォセ家の中庭の一角

で、ムケカに座って歌や踊りの数々を楽しみました。気がつくと、私たちのうしろに

は村人たちが詰め、そうか、こういう場所でザウォセの音楽は生まれてきたのかと納

得させられる思いでした。

☆ タンザニアの変化に驚き

 アフリカ体験はあっても、ほとんどをジャングル暮らしに終始していた私には、盛

りだくさんの内容のこのツアーは、知らなかった土地を巡り、さまざまな人たちと出

会うことのできた旅でした。また、変わりゆくタンザニアを感じ、思うことの多い旅

でもありました。

 たとえば、ホテルでのたびたびの停電と断水、お店はあってもがらんどうで商品は

ごく僅か、というのが10数年前の大都市ダルエスサラムの印象です。ものが格段に増

えたと聞いてはいても、昔の記憶は拭いがたく、ヘッドランプやロウソク、水筒にコ

ッヘルといったサバイバル用品が、今回、私の荷物の大半を占めていました。投宿先

のホテル・アジップの思いがけない快適さ、そして町に、山を成してものがあること

は驚きでした。お菓子、ミネラルウォーター、トイレットペーパー、何だってあるの

です。昔は見ることのなかった、青や白のビニール袋がゴミとなってあちこちにころ

がっているのにも驚きました。ほんの少し前には、それらは人が競って拾う貴重品で

したから。

 ものがないことの大変さと、それゆえの良さ。それを、かつてのタンザニアでつく

づくと味わった身に、この変化は複雑な思いを呼ぶものでした。旅の間中、そして帰

国してからも、ものがあることとないこと、便利さと不便さ、そこから派生するさま

ざまなことがらについては、私の中で解決しようのない問題です。

 もう少し時間が経ったなら、見たこと、思うことでいまだ撹拌状態にある私の頭の

中も落ちついて、いろんなことが少しずつ形を成してくるのだろうと思います。  

                           (ますい・まきこ)

 


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