インドネシア紀行

スラウェシ−モチ米・竹・ヤシの島

深澤小百合


 赤道を越えてインドネシアのバリ島、スラウェシ島、ジャワ島で「稲作文化と根栽文化」を訪ねてきた。あふれる緑と水に囲まれたバリ島の棚田、スラウェシ島トラジャのたわわに実った稲、サゴヤシ、ジャワ島のサトウキビ、キャッサバなど、いずれを見てもインドネシアそのものであり、新鮮で興味深いものばかりだった。
特にスラウェシ島での4日間は収穫が多かった。
スラウェシ島の南西半島の南スラウェシ州は、山地の多い他の地域に比べ比較的平野がある。人口は約800万人、州都は半島の南にあるウジュンパンダン。この南スラウェシは、5、60年前までは異なる環境で、それぞれの民族が異なる素材を主食としてきたところだという。ブギス族、マカッサル族、マンダール族、トラジャ族に分かれる。ブギス族の中でもボネ・ブギスは半島中央部湿潤地帯で水稲による米、ルウ・ブギスは北東海岸低湿地帯でサゴヤシのデンプンと魚、山あいに住むトラジャ族は焼畑の陸稲による米が主食だった。今回の旅ではそのいくつかに実際に接することができた。
 
竹筒飯は赤飯だった
 スラウェシ島で初めて竹筒飯に出会った印象は忘れられない。5日目、南スラウェシのトラジャの南、Makareマカレから東へ約50km、ボネ湾に面した北東海岸沿いの町、Palopoパロポに抜ける山越えの道中だった。香料の丁子が斜面に続く標高1000M ほどの山道を車で走ること約1時間、午前9時。それは道沿いの小さな売店の外に無造作に立てかけてあった。ここでは Piongピオンと呼ぶ。バナナの葉のふたを取って見せてくれたとき、思わず「赤飯だ」と叫ぶほど日本の赤飯に似ていた。白と黒のモチ米を洗い、塩を混ぜ Santanサンタンというココナツミルクを入れる。1m位に切った竹筒にモチ米がつかないようにバナナの葉を竹の棒に巻き付けて、竹の内側に張り、先ほどのモチ米を入れる。ふたをして約2時間戸外で焼く。売店の向かい側に竹筒飯を蒸し焼きにするところがあった。焼き終わったら、焦げた外側の皮を剥ぐ。竹筒飯の黒米は約1割のようだが黒米の色が白モチ米に染まり、紫色になる。黒米の黒がまるで小豆のように見え、赤飯そのものである。白いモチ米の竹筒飯とともに試食してみるとココナツミルクのほのかな甘みが残り美味だった。この竹筒飯は3日間位しか保存できないらしい。土地の女性が頭上に竹筒飯を10本ほど載せて山道を登ってくる姿にも出会った。スラウェシは東南アジアでも竹が豊富なところである。至る所にバンブーが生え、バナナの葉、ココヤシ、モチ米がある。この土地に恵まれた素材を余すところなく生かした食物であり、人の知恵を感じさせるものであった。
 竹を利用した竹筒飯は東南アジア全域にある。携帯食、行事食として扱われている。インドのアッサムにもあり、ミャンマーでは Kauk nyeinカ・ニュエンという。タイ、ラオスでは Khao lamカオ・ラームといい、調理法はスラウェシとほとんど同じである。中国の雲南省徳宏のタイ族にもあるがココナツミルクは入れない。インドネシアのハルマヘラ島では、太い竹筒飯を gogoodo、細い竹筒飯を jahaといい、ウルチ米、モチ米半々で行事の時に作る。トラジャのノノカン村ではピオンでなくパピヨンと呼ぶようだ。収穫後の儀礼メ・ダツで供物の一つとされ、山の中でモチ米と水だけで作られる。

黒米はモチ米、ハレの日に
 インドネシア語でウルチ米は Berasブラス、モチ米は Beras Ketanブラス・ケタン(米・粘る)、赤米は Beras Merahブラス・メラッハ(米・赤)、黒米は Ketan Hitanケタン・ヒタン(モチ・黒)という。スラウェシ語ではモチ米は Beras Pulut(米・粘る)、黒米はBerasといわずにKetanというから、インドネシアでは黒米すなわちモチ米を意味するようだ。モチ米粉は Tepungテプングという。
 黒モチ米は、中国西南部から東南アジア全域にあり、主に行事食や菓子作りに用いられている。中部スラウェシ出身のアンボンスーシーさんによると、赤米・黒米は結婚式などの行事の際に用いられるといっていた。ジャワ島では儀礼の食事にかかせない黄色い飯にナシ・クニンがあるが、スラウェシでは行事のときは食べない。市場でいつでも買って食べるそうである。
 サダン・トラジャ族は高床式穀倉の南の妻の棚に来年度用の種籾を置き、北の棚にはハレの行事(ランブ・ツカ用)と厄除けの時に用いるモチ米が置かれているそうだ。ランブ・ソロというケの行事にはモチ米は使われずウルチ米が使われる。また、黒米は葬儀には用いないという。白米、赤米、黒米は床上に置くが、場所は決まっている。このように見てくると、スラウェシでは黒米はモチ米、そしてハレの儀礼という線上でつながっていくようだ。黒米、紫米は本来は赤米の一つで、種皮のアントシアンの色素が多いものをさすのだが、色素の濃い黒米がより珍重されているということだろう。地元の別の人は、赤米はまずいが、健康のために食べるともいっていた。
 中国西南部、雲南省には赤米の紫色のオコワがあり、貴州省では「黒糯米飯」という黒米のオコワが点在している。黒米がないからか、植物の葉をついた液で黒く染める少数民族もいる。江南の漢族は黒く染めたオコワを「烏米飯」と呼ぶ。食紅で赤く染めたオコワもあり、いずれにしても行事の食べ物である。マレーシアでは黒モチ米の菓子用である Buburブブルという甘い味付けの粥、Wajehワジェという黒モチ米の砂糖煮がある。
 立ち寄ったパロポの市場では、白、赤、黒のモチ米、白のモチ米粉が竹のザルの上で売られていた。黒モチ米は白や赤より2倍弱の値段が付いていた。またトラジャのレストランやマカレのホテルで食べた黒いオコワは、味覚があうせいか白いプレーンのご飯より美味しく感じられた。
 インドネシアには他にオパックという煎餅がある。蒸したモチ米をついて平らにのばし日干したものである。またタぺはモチ米から造る粒酒である。赤と白のモチ米を混ぜて炊き、蒸して、ラギと呼ぶ種麹を加え数日置くと米粒のまま酒になるという。ロンボク島には黒モチ米で造ると一番美味しいという地酒、Bremブレムがある。  
 ジャワ島ジョグジャカルタのウィーダダさんの実家では、モチ米は2年に1回行事にあわせて必要とされる分だけを作る。ただし、白いモチ米で、主にお祭り、結婚式や男子の割礼の時である。日常食にはウルチ米でも、行事食となるとモチ米を用いる伝統が残っているようだ。

米は蒸す
 米はどのような調理をしているのだろうか。インドネシアのジャワ島では「蒸し飯法」が主だが、近年は日本と同じ「炊き干し法」が一般化しつつあるという。その「蒸し飯法」とは、まず米を大量の水と一緒に強火で半煮えさせる。竹で編んだ円錐形のかごの Kukusanククサーンに米をあげ、水気を切った後, DangーDangダンダンとよぶ深鍋にのせて土器製のふたをかぶせて蒸す方法である。
バリ島出身のクリスヌさんの家ではやはりウルチ米は「蒸し飯法」だが、少し異なっていた。まずククサーンに米を入れ30分蒸し、別の鍋に米を一度あけて水を入れかき混ぜる。もう一度ククサーンに米を入れて30分蒸す。バリ島ではこれが基本的な米の調理法で最も美味しいということだった。
中部スラウェシ出身のアンボンスーシーさんの家でもウルチ米は「蒸し飯法」である。1日3回、1回2時間かけて蒸す。蒸すことを Kukusククスという。アルミの鍋の中ほどに鉄のザルをしいて、その上に米を入れて蒸す。日常食はこのプレーンのご飯を食べる。モチ米も同じ「蒸し飯法」で行う。
スラウェシのパロポのホテルの厨房で実際に見たウルチ米は「蒸し飯法」であった。アルミの鍋の中程に穴があいた中じきがあり、米はその上で蒸す。食べてみるとパサパサしており、モチ米ほど食は進まない。
 スラウェシでは Masakマザック(炊く)の「炊き干し法」もあるが、やはり主に米を蒸しているようだ。ジャワ島ジョグジャカルタのウィーダダさんの家でもククサーンを用いた「蒸し飯法」を行っているといっていた。
 モチ米を主食とするタイ、ラオスでは、インドネシアのククサーンと形状も素材も同じ円錐形の竹を編んだ甑を用いて蒸す。この甑を Hautホワトという。中国西南部にも木製の甑があり、米を蒸す。「蒸す」調理法は中国、韓国、日本へと広がり、米を主食とする地帯とも重なる東アジアに伝統的な調理法で、世界の他の地域には余りない。モチ米はアミロペクチンの含有量が多いため「炊く」と焦げやすく「蒸す」調理法が最も適している。ウルチ米は「炊く」に移行できるが、モチ米を「炊く」ことには無理がある。インドネシアの伝統的な米の調理法に「蒸す」という形が残っているならば、どこかでモチ米と結びつかないだろうか。



モチ米のお菓子
 インドネシアではモチ米はお菓子、軽食の材料として用いられる。褐色のヤシ砂糖の甘いお菓子をいくつかあげてみる。
トラジャ付近の山中の売店で見かけたものは次のようなものである。 
Bajeバジェ モチ米を蒸し、粒状のままココナツミルク、ヤシ砂糖をあめ状に煮た中に混ぜバナナの葉に包む。褐色で柔らかい。
Baje Kotuバジェコトゥ モチ米を蒸し、粒状のままココヤシの粉とココナツミルクを混ぜ、トウモロコシの皮に包む。
Jippangジパン モチ米を蒸し、天日干しした後、ヤシ油で揚げる。ココナツミルクやヤシ砂糖を煮て、揚げたモチ米を入れ長方形の型に流し30分そのままで固め、切る。おこしである。ミャンマーの Monzan mayueモンザン・マユエーと同じである。
Depatori デパトリ モチ米粉にヤシ砂糖、ココナツミルクを加え油で揚げる。褐色。 
Kue Lapisクエ・ラピス (お菓子・組み立てる)これはモチ米でなく、ウルチ米粉にココナツミルクと砂糖を入れ、1枚ずつ蒸しながら色を重ねる。ういろうのようなものである。
Bannang Bannangバナンバナン 米粉とヤシ砂糖を手でかき混ぜ、糸を引くようにして油で揚げる。褐色。
ウジュンパンダンの市場で見かけたものは次のようなものである。
Kura Kura クラクラ モチ米粉を用い、中は大豆である。赤色。スラウェシ、ジャワ、イリアンの行事の時使う。
Putu Ambonプトウアンボン 外側はモチ米粉とココヤシの粉、中身はヤシ砂糖。白色。ジャワのお菓子。
Lalampaラランパ モチ米を蒸し、粒状のままココナツミルクを加える。中身は魚とトウガラシを入れ、バナナの葉で包み焼く。ジャワのお菓子。ジャワ島のジョグジャカルタの市場では、竹ザルのバナナの葉の上に直径50cmほどの丸い餅のようなものを切り売りしていた。
Krasikanクラッシアン モチ米(粒)を蒸し、ヤシ砂糖を加えたもので、茶色。
Wajik ワジックーモチ米(粒)を蒸したもので、赤色。
Jadah ジャダツ ーモチ米(粒)で白色。
Jenang ジェナンーモチ米粉で、茶色。
Ongol-Ongol オンゴルオンゴルーモチ米粉で、白色。

その他に
Dodol ドドル ーモチ米粉とココナツミルクで作る。モチ米ではないがウルチ米のチマキがあった。
ketupatケットウパ ヤシの一種のパンランの葉を編み小さなかごを作って、その半分位にウルチ米を入れ、鍋で茹でる。ウジュンパンダンの市場でも売られていた。味のない固めのおにぎりのようであった。 フィリピンではプソといい、モチ米を入れる。
 たくさんのモチ米やモチ米粉のお菓子の甘味料は、ココヤシから採れるココナツミルクやヤシ砂糖を用いており、スラウェシの素朴なお菓子ほどヤシ砂糖の褐色が残っている。
ココヤシの果実は成熟してくると、その内側に乳白色の胚乳の脂肪層ができる。これを削り取って搾ったものがココナツミルクであり、サンタンと呼ばれるものである。またこの脂肪層を乾燥させたものを Copraコプラといい、マーガリンや石鹸などの油脂原料にされる。コプラは粉末や細切りにして料理や菓子作りに使われる。市場では青いココヤシを売っており、生の脂肪層を機械で細切りにしていた。ココヤシの花房を切って、切り口からでる甘い樹液を竹筒に採り、木の皮を入れて発酵させたものが Tuakトウワツというヤシ酒である。トラジャで飲む機会があったが、甘酸っぱいものであった。ヤシ砂糖はこの樹液を3、4時間煮詰めるとできる。市場でも褐色に固められた大きめのサツマイモほどの大きさのヤシ砂糖がたくさん売られていた。

サグーは水溶き片栗粉
インドネシアの根栽文化は、サゴヤシ、パンノキ、キャッサバ、バナナに代表される。南スラウェシの Tarueタルエ村を訪れた驚きは鮮烈であった。バリ島、スラウェシの低地の田園風景に点在する丈の高いココヤシを見慣れた目には、パロポから続くズングリとしたサゴヤシの林は珍しいものだった。パロポから半円状にボネ湾沿いに低湿地帯があり、パロポの北北東約50km, Masambaマサンバの西にタルエ村がある。タルエ村までは水田の中にサゴヤシがあるという風景であったが、かつては道路の両側はサゴヤシばかりだったそうである。
 タルエ村のサゴヤシは、淡水、海水の混じった海岸低湿地帯で栽培されていた。サゴデンプンを作る林の中ほどへは、湿地帯の水の上に渡された板や木の皮の道を飛び跳ねるように歩く。熱帯の太陽の陽射しと下からの湿気で蒸し暑い。5haのサゴヤシ林を50家族ほどで共有している。1家族でおよそ20本所有し、それぞれのサゴヤシの所有者は決まっている。サゴヤシは約6年毎にサゴデンプンが溜まった頃を見計らって切り倒される。伐採後は側枝を植えると、5〜6年で成長する。肥料はいらない。1家族で2、3本切れば十分である。1本のサゴヤシから2〜300Kgのサゴデンプンがとれる。目の前で直径50cm、長さ70cmほどに伐採された幹は斧で皮を剥ぎ、幹の髄を割っていく。最後に破砕機にかけて、細かく砕く。それでも繊維は爪楊枝くらい太い。この繊維に付着したサゴデンプンをすぐ横の樋の中で晒す。何度も水をかけて揉み、デンプンを沈殿させる。できたての湿デンプンを触ってみると、まるで水溶き片栗粉のようだった。このサゴデンプンを Saguサグーと呼ぶ。湿デンプンのまま売買されるという。10Kgあたり5〜6000Rpで売られる。タルエ村の人は朝は米を食べるが、昼と夜はサグーを食べる。
パロポのホテルでサグーの料理を3種類試食できた。Dangeダンゲは市場で購入したもの。白いパン状の油揚げほどの大きさのもので、食べると酸っぱく、舌の上ではザラザラしている。2、3日そのままで置くと、発酵してくさい臭いがしてきた。マルク諸島各地にある Sagolenpenサゴレンペンと同じようなものらしい。Kapurungカプルンは葛湯状のもの。ホテルの厨房で実際に調理を見せてもらった。湿ったサグーに熱湯を入れ、すぐかき混ぜる。透き通ったサグーを2本の短いはしで、水あめのように絡ませながらダンゴ状にして、水を入れたボールに放つ。このカプルンを先に作ったスープに入れて食べる。ツルリとして喉越しが良く、サグー料理の中では一番美味しかった。Bageaバゲア、あっさりとしたクッキーである。サグーと砂糖、あるいはそれに卵、バターを加えて、フライパンで焼く。パロポの市場でサゴパールを購入した。乾燥した直径3〜5mmほどの白い粒状である。サゴパールはサグーを袋に入れて振り、丸い粒にして加熱して作る。ウジュンパンダンの市場で Bagea Ambonバゲアアンボンを売っていた。サグーと Kenari(白い豆)を細かく切ったものでできたダンゴ状のアンボン島のお菓子である。
バリ、トラジャと米を主食とする文化は受け入れやすいものであったが、このルウ・ブギス族のサゴヤシは、驚き以外のなにものでもなかった。人にとって安定的な主食としての作物は何かと考えさせられた食物であった。

限られた素材を生かした知恵
サゴヤシを訪れた帰り道の夕刻、マカレに近いナンダ村では黒い芒をした稲を見ることができた。手の中に収まる小さな道具を使って、男の人が胸まで隠れるほど深い田で穂刈りをしていた。畦には穂刈りした稲束が高さ1mほどの円錐形に積まれ、その上に松の葉などの葉が置かれていた。近くの家の庭先には、稲束が穂を下に向けたくさん干されていた。トラジャ付近では平野部やマカレの田と違って穂刈りをする。トンコナンが立ち並ぶ向かい側の高床式穀倉の中の稲束も穂刈りした穂を下に向けて保存されていた。トラジャの棚田は、バリ島のそれよりも青く、生活の息吹を感じさせる。10人ほどの男女が手植えの田植えをしているところにも出会うことができた。
 株立ちする竹、バンブーはトラジャでは至るところにはえていた。竹筒は米や肉を蒸し焼きにしたり、ヤシ酒を作るための樹液を溜める道具になる。市場では竹で編んだかごやザルが数多く売られていた。甑のククサーンも竹製であった。建材としても用いられる。トンコナンの屋根は割った竹を大量に用い、精巧に積み重ねてふきあげたものである。葬送儀礼の準備が進む会場の建物も竹であった。葬送儀礼の後、穀倉に注連縄のように張られるタラン・タランも竹である。Segeriセゲリ村のブギス族の高床式民家の台所の床は、割った竹を張っていた。楽器もある。竹製の笛、そして Ganrang Bulo ガンラン ブロ(手で打つ・竹)というカスタネット。小さな2枚の竹の片を手に挟み、ブギス族の子供がかん高い竹の良い音を響かせる。
米、ヤシ、バンブーという自然環境に囲まれたスラウェシの人々が、生活していくために限られた素材を最大限に生かしたところにそれぞれの独自の文化が生まれてきたのだろう。そこに住む民族の多彩な生活の知恵を感じることができた。また、海を隔てて遠く離れたこのスラウェシの文化の中には東南アジア大陸部のタイ、ラオス、中国西南部などと共通するものがいまだに数多く残存していることを、改めて直接に確認することもできた。 


参考文献
渡部忠世『稲の大地』小学館
鳥越憲三郎、若林弘子『倭族トラジャ』大修館書店
『世界の食べもの』週刊朝日百科 76, 77, 78, 121号、朝日新聞社
周達生『食文化からみた東アジア』日本放送出版協会