






モチ米のお菓子
インドネシアではモチ米はお菓子、軽食の材料として用いられる。褐色のヤシ砂糖の甘いお菓子をいくつかあげてみる。
トラジャ付近の山中の売店で見かけたものは次のようなものである。
Bajeバジェ モチ米を蒸し、粒状のままココナツミルク、ヤシ砂糖をあめ状に煮た中に混ぜバナナの葉に包む。褐色で柔らかい。
Baje Kotuバジェコトゥ モチ米を蒸し、粒状のままココヤシの粉とココナツミルクを混ぜ、トウモロコシの皮に包む。
Jippangジパン モチ米を蒸し、天日干しした後、ヤシ油で揚げる。ココナツミルクやヤシ砂糖を煮て、揚げたモチ米を入れ長方形の型に流し30分そのままで固め、切る。おこしである。ミャンマーの Monzan mayueモンザン・マユエーと同じである。
Depatori デパトリ モチ米粉にヤシ砂糖、ココナツミルクを加え油で揚げる。褐色。
Kue Lapisクエ・ラピス (お菓子・組み立てる)これはモチ米でなく、ウルチ米粉にココナツミルクと砂糖を入れ、1枚ずつ蒸しながら色を重ねる。ういろうのようなものである。
Bannang Bannangバナンバナン 米粉とヤシ砂糖を手でかき混ぜ、糸を引くようにして油で揚げる。褐色。
ウジュンパンダンの市場で見かけたものは次のようなものである。
Kura Kura クラクラ モチ米粉を用い、中は大豆である。赤色。スラウェシ、ジャワ、イリアンの行事の時使う。
Putu Ambonプトウアンボン 外側はモチ米粉とココヤシの粉、中身はヤシ砂糖。白色。ジャワのお菓子。
Lalampaラランパ モチ米を蒸し、粒状のままココナツミルクを加える。中身は魚とトウガラシを入れ、バナナの葉で包み焼く。ジャワのお菓子。ジャワ島のジョグジャカルタの市場では、竹ザルのバナナの葉の上に直径50cmほどの丸い餅のようなものを切り売りしていた。
Krasikanクラッシアン モチ米(粒)を蒸し、ヤシ砂糖を加えたもので、茶色。
Wajik ワジックーモチ米(粒)を蒸したもので、赤色。
Jadah ジャダツ ーモチ米(粒)で白色。
Jenang ジェナンーモチ米粉で、茶色。
Ongol-Ongol オンゴルオンゴルーモチ米粉で、白色。
その他に
Dodol ドドル ーモチ米粉とココナツミルクで作る。モチ米ではないがウルチ米のチマキがあった。
ketupatケットウパ ヤシの一種のパンランの葉を編み小さなかごを作って、その半分位にウルチ米を入れ、鍋で茹でる。ウジュンパンダンの市場でも売られていた。味のない固めのおにぎりのようであった。
フィリピンではプソといい、モチ米を入れる。
たくさんのモチ米やモチ米粉のお菓子の甘味料は、ココヤシから採れるココナツミルクやヤシ砂糖を用いており、スラウェシの素朴なお菓子ほどヤシ砂糖の褐色が残っている。
ココヤシの果実は成熟してくると、その内側に乳白色の胚乳の脂肪層ができる。これを削り取って搾ったものがココナツミルクであり、サンタンと呼ばれるものである。またこの脂肪層を乾燥させたものを Copraコプラといい、マーガリンや石鹸などの油脂原料にされる。コプラは粉末や細切りにして料理や菓子作りに使われる。市場では青いココヤシを売っており、生の脂肪層を機械で細切りにしていた。ココヤシの花房を切って、切り口からでる甘い樹液を竹筒に採り、木の皮を入れて発酵させたものが Tuakトウワツというヤシ酒である。トラジャで飲む機会があったが、甘酸っぱいものであった。ヤシ砂糖はこの樹液を3、4時間煮詰めるとできる。市場でも褐色に固められた大きめのサツマイモほどの大きさのヤシ砂糖がたくさん売られていた。
サグーは水溶き片栗粉
インドネシアの根栽文化は、サゴヤシ、パンノキ、キャッサバ、バナナに代表される。南スラウェシの Tarueタルエ村を訪れた驚きは鮮烈であった。バリ島、スラウェシの低地の田園風景に点在する丈の高いココヤシを見慣れた目には、パロポから続くズングリとしたサゴヤシの林は珍しいものだった。パロポから半円状にボネ湾沿いに低湿地帯があり、パロポの北北東約50km, Masambaマサンバの西にタルエ村がある。タルエ村までは水田の中にサゴヤシがあるという風景であったが、かつては道路の両側はサゴヤシばかりだったそうである。
タルエ村のサゴヤシは、淡水、海水の混じった海岸低湿地帯で栽培されていた。サゴデンプンを作る林の中ほどへは、湿地帯の水の上に渡された板や木の皮の道を飛び跳ねるように歩く。熱帯の太陽の陽射しと下からの湿気で蒸し暑い。5haのサゴヤシ林を50家族ほどで共有している。1家族でおよそ20本所有し、それぞれのサゴヤシの所有者は決まっている。サゴヤシは約6年毎にサゴデンプンが溜まった頃を見計らって切り倒される。伐採後は側枝を植えると、5〜6年で成長する。肥料はいらない。1家族で2、3本切れば十分である。1本のサゴヤシから2〜300Kgのサゴデンプンがとれる。目の前で直径50cm、長さ70cmほどに伐採された幹は斧で皮を剥ぎ、幹の髄を割っていく。最後に破砕機にかけて、細かく砕く。それでも繊維は爪楊枝くらい太い。この繊維に付着したサゴデンプンをすぐ横の樋の中で晒す。何度も水をかけて揉み、デンプンを沈殿させる。できたての湿デンプンを触ってみると、まるで水溶き片栗粉のようだった。このサゴデンプンを Saguサグーと呼ぶ。湿デンプンのまま売買されるという。10Kgあたり5〜6000Rpで売られる。タルエ村の人は朝は米を食べるが、昼と夜はサグーを食べる。
パロポのホテルでサグーの料理を3種類試食できた。Dangeダンゲは市場で購入したもの。白いパン状の油揚げほどの大きさのもので、食べると酸っぱく、舌の上ではザラザラしている。2、3日そのままで置くと、発酵してくさい臭いがしてきた。マルク諸島各地にある Sagolenpenサゴレンペンと同じようなものらしい。Kapurungカプルンは葛湯状のもの。ホテルの厨房で実際に調理を見せてもらった。湿ったサグーに熱湯を入れ、すぐかき混ぜる。透き通ったサグーを2本の短いはしで、水あめのように絡ませながらダンゴ状にして、水を入れたボールに放つ。このカプルンを先に作ったスープに入れて食べる。ツルリとして喉越しが良く、サグー料理の中では一番美味しかった。Bageaバゲア、あっさりとしたクッキーである。サグーと砂糖、あるいはそれに卵、バターを加えて、フライパンで焼く。パロポの市場でサゴパールを購入した。乾燥した直径3〜5mmほどの白い粒状である。サゴパールはサグーを袋に入れて振り、丸い粒にして加熱して作る。ウジュンパンダンの市場で Bagea Ambonバゲアアンボンを売っていた。サグーと Kenari(白い豆)を細かく切ったものでできたダンゴ状のアンボン島のお菓子である。
バリ、トラジャと米を主食とする文化は受け入れやすいものであったが、このルウ・ブギス族のサゴヤシは、驚き以外のなにものでもなかった。人にとって安定的な主食としての作物は何かと考えさせられた食物であった。
限られた素材を生かした知恵
サゴヤシを訪れた帰り道の夕刻、マカレに近いナンダ村では黒い芒をした稲を見ることができた。手の中に収まる小さな道具を使って、男の人が胸まで隠れるほど深い田で穂刈りをしていた。畦には穂刈りした稲束が高さ1mほどの円錐形に積まれ、その上に松の葉などの葉が置かれていた。近くの家の庭先には、稲束が穂を下に向けたくさん干されていた。トラジャ付近では平野部やマカレの田と違って穂刈りをする。トンコナンが立ち並ぶ向かい側の高床式穀倉の中の稲束も穂刈りした穂を下に向けて保存されていた。トラジャの棚田は、バリ島のそれよりも青く、生活の息吹を感じさせる。10人ほどの男女が手植えの田植えをしているところにも出会うことができた。
株立ちする竹、バンブーはトラジャでは至るところにはえていた。竹筒は米や肉を蒸し焼きにしたり、ヤシ酒を作るための樹液を溜める道具になる。市場では竹で編んだかごやザルが数多く売られていた。甑のククサーンも竹製であった。建材としても用いられる。トンコナンの屋根は割った竹を大量に用い、精巧に積み重ねてふきあげたものである。葬送儀礼の準備が進む会場の建物も竹であった。葬送儀礼の後、穀倉に注連縄のように張られるタラン・タランも竹である。Segeriセゲリ村のブギス族の高床式民家の台所の床は、割った竹を張っていた。楽器もある。竹製の笛、そして Ganrang Bulo ガンラン ブロ(手で打つ・竹)というカスタネット。小さな2枚の竹の片を手に挟み、ブギス族の子供がかん高い竹の良い音を響かせる。
米、ヤシ、バンブーという自然環境に囲まれたスラウェシの人々が、生活していくために限られた素材を最大限に生かしたところにそれぞれの独自の文化が生まれてきたのだろう。そこに住む民族の多彩な生活の知恵を感じることができた。また、海を隔てて遠く離れたこのスラウェシの文化の中には東南アジア大陸部のタイ、ラオス、中国西南部などと共通するものがいまだに数多く残存していることを、改めて直接に確認することもできた。