H.T.さん旅行記
12月23日
バンコクに到着すると、空港で栗本さんが出迎えに来てくれていた。すぐにバスターミナルへ移動した。バスの待ち時間は約50分あったので、その間、栗本さんからいろいろ話を聞いた。私は日本で得た情報と、自分勝手な思いこみで、一人意気込んで参加しただけに、栗本さんから聞く話はかなりショックだった。今後やっていけるのか、いきなり自信をなくした。
バスに乗り込むと、いきなり栗本さんから「僕は、26日にお客さんが来るからここに残る。アランヤプラテートまでは君たち二人で行ってくれ。バスは終点まで降りないように。」と言われ、私の不安も倍に!約4,5時間のバスの旅をし、アランヤプラテートに到着した。宿泊予定のホテルが予想以上に美しかったのが、唯一の救いだった。
12月24日
翌日、トゥクトゥクに乗っていよいよ国境へ。カンボジアビザを取得して、歩いて国境を越えた。国境付近は、リヤカーのような車を引いている人が列をなし、ストリートチルドレンがあふれ、大勢の人々が行き来し、かなり雑然としていた。
車に乗り込み、CCHOMEに向けて出発した。舗装されていないガタガタ道をひたすら走る。乾季のため、対向車がくると土埃がすごい。辺りは、バナナ畑や焼畑や民家もみられたが、荒れ地が果てしなく続いていた。ついに来た、と実感した。
CCHOMEに着くと、現地スタッフ・日本人スタッフの方々に迎えられた。すぐに昼食を取り、日本人スタッフの方から説明を受けた。その後、学校見学へ向かった。車の窓越しにいくつかの学校を見て、オルセークラオム、オーニエンという二つの学校は実際に見学させてもらった。特に、オーニエンでは、校舎のすぐ裏に「地雷立入禁止」の柵がしてあり、危険と隣り合わせの生活を物語っていた。なのに、そこで暮らす人々や、先生や子どもたちがいつも笑顔で明るいのが印象的だった。
12月25日
今日からは、自分で考え、行動することを要求される。かといって、今すぐに手伝うことも見つからず困った。現地スタッフのロムさんペアさん兄妹の誘いで、市場へ買い物に出かけることにした。市場では、肉屋、魚屋、八百屋など、食物の種類別に店があり、日用品、薬局なんかもあって、生活必需品のほとんどが手に入るようだ。思ったより、物は豊富にあった(買えるかどうかは別にして)。
昼食後、ロムさんの誘いで学校見学に行った。トムノップダイ、アンサラー、オルセーカンダーラの3校を見たが、そのうち1校は休んでいた。なぜなのか質問すると、理由は様々だが、先生がさぼっている場合もあるという。きちんと開校されているかのチェックも欠かせない仕事の一つだ。
12月26日
今日も午前は市場へ行った。市場では、昔カンボジアがフランスの植民地だった名残でフランスパンが売られていた。買って食べてみたが、とても美味しい!ジャックフルーツやさとうきびジュースも私の好物になった。
午後は月に一度、村の先生に給料を払う日で、CCHOMEに先生たちが集まってきた。先生たちから生徒の人数を聞いて黒板に記録し、先月と比較していた。学校の実体を知る大切な集会だ。
12月27日
栗本さんや、スタッフの方の話から、エイズ問題、人身売買、売春など、教育問題以外にまだまだ問題があることを知った。現にCCHOMEにはエイズ孤児が数人引き取られており、彼らも犠牲者なのだと思うと胸が痛かった。長い内戦による貧困から生まれた問題で根が深く、それを解決するにはあと何十年もかかると思われ、気が遠くなった。
少しでも現実を見て帰りたいという私の希望を聞いてくださり、午後、車で約1時間離れた病院、モンゴルボレーへ見学に行った。病院は私が想像していたのとはかけ離れ、不衛生で医療設備もほとんどない状態だった。治療といえば、点滴くらいらしい。いくつかある病棟のうちエイズ病棟を見せてもらった。中は一つの大きなフロアーになっていて、二列にベッドが並んでおり、患者が寝ていた。私は彼らを直視できなかった。覚悟を決めていったのに、恐くなってしまった自分が情けない。
12月28日〜29日
ポイペットの町へやってきたコースとは逆をたどり、バンコクへ入り、日本へ帰った。
〜感じたこと・学んだこと〜
現在、学校は14校開校しているそうだ。午前・午後の二部制で、子どもたちはどちらかに通って勉強するとのこと。休みは木・日。学校のない時は、子どもたちは、家庭の貴重な労働力として期待されている。先生は、すべて村の人で、午前・午後両方とも教えている人もいれば、どちらかだけの人もいる。先生も、先生をやっていない時は、他の仕事をしている。
子どもたちを学校に通える環境づくりをしていく支援も必要だが、その親たちに教育の必要性を理解してもらうことや、先生の資質の向上など、まだまだ問題がありそうだと感じた。また、村では水不足の問題もあり、学校建設よりもまず井戸掘りというような、生活支援も必要だった。
では、実際に日本人スタッフが何かしているのかというと、何もしていない。村人のやり方を尊重しているそうだ。村人が問題に直面し、解決の方法を求めてきた時にだけ、手を差し伸べるのが、私たちの役割だと教えていただいた。私たちの価値観を決して村人に押しつけてはならないということも。私たちが不自由だと感じることも、村人にとっては普通のことだっていっぱいある。例えば、電気の必要性。振り返ってみても、私は彼らを助けたことは一度もなく、私が彼らに助けられていた。カンボジアの人たちにとっては、私たちはあくまでも外国人であることを身をもって感じ、何かしてあげようと思っていた自分の傲慢さが恥ずかしい。改めて、では私にできることはいったい何なのか、考えさせられた。
カンボジアの将来を担う子どもたちが一人でも多く就学できるチャンスを提供するために、私なりの支援の仕方を探し続けたい。
最後に、支援について見直すよい機会を与えてくださった、栗本さんをはじめスタッフの方々、現地スタッフの方々、マイチケットの皆さんに感謝いたします。