カンボジアスタディーツアーレポート
期間:2003年9月19日〜9月25日 K.S.さん
大学の講義で偶然オカさんの活動やカンボジアのことを知り、それまであまり東南アジアに関心がなかったのに、なぜか「自分の目で見たい」という気持ちが強くなっていました。どんなにビデオや文献を見ていても、私にはその出来事をリアルに感じることができないからです。見てもいないのに、知りもしないのに勝手に想像して自分の思いや考えを表に出すことは”あぶない”と思うので、これはやはり自分の身体で感じ取るしかない。そう思って8月中はカンボジア行きの資金調達(週6日出勤)に励み、ようやく9月19日を迎えることができました。
正直な話、ボランティアをする、という感覚はほぼゼロに等しかったです。”ボランティア”という言葉に対して説明しにくい抵抗感があったし、日本での生活に疲れていたこともあり、ビデオで見たこどもたちの姿を思い浮かべる度にあの子達の笑顔に逢えば力を分けてもらえるような気がして、逢えるのをとても楽しみにしていました。
タイに着いてその日の宿に着くまでの間で、驚いたのは街の中心部と周辺部の差でした。数時間車で走っただけなのに景色が東京と五日市(広島)ぐらい違っていました。翌日、初めて陸続きの国境を越えました。「ここが一番あぶない」と言われて緊張しました。日本で普通に歩く時にスリや強盗なんて考えもしないから何が違うのか、どうして警戒しながらでないと歩けないのかと思いました。
歩いていると赤ちゃんを抱いた女の子がついてきて私には解らない言葉で何か話し掛けてきました。空になった哺乳ビンを指差していました。言葉は解らなくても何を言いたいのかは解った。でも私は解らないふりをして、無視して通り過ぎました。かばんに気を付けながら。こんな子供を疑ったり、無視したりしなければいけない現実が悲しかったです。
cchomeに向かうトラックの荷台からポイペットの町や村の景色をみていると、少しずつ元気になりました。昼間の町は人がたくさんいて、活気があって、生活感にあふれていました。悪路で何度もお尻をぶつけて、変なところが筋肉痛になったけどトラックの荷台から見るカンボジアは「なんてきれいな国なんだろう」と思いました。植物も人も空も水も家も道も空気もみんな日本とは違う。でもなぜか懐かしい感じがして、私は嬉しかった。
国境まで迎えに来てくれたスタッフのロム君の流暢な日本語にびっくりしました。どこで習ったのと聞いたらここで、と答えてくれました。日本語は私たちでも難しいのにひらがなも書けると聞いてさらにびっくり。カンボジアで何語が話されているかも知らなかった私。見習わねば、と思いました。ほんと、恥ずかしい・・・。
cchomeに着いてから、頭空っぽのまま来てしまった私はみんなにくっついて行くことにしました。先入観や思い込みを持ってボランティアやるぞ〜!!と意気込みすぎるのはよくないと思ったけど、逆にここまで空っぽのままでいいのか?と内心どきどきしていました。結局若い人達と一緒になって畑に種をまくことと、小学校の校庭の石を拾うことしかできなかったけれど、やってみて思ったことは今自分がしていることは、村の人達にとってどんな意味があるんだろうということでした。裸足で生活している子供達のために校庭の石を拾おうと思った福田君の考えに私も共感できました。ただ、今でも充分楽しくやってるし、裸足の生活に慣れてるんだったら、あまり意味がないんじゃないかという中野さんの言うことも確かにそうだ、と思いました。ここの人が、望んでいることなのかどうかをまず知らなければいけないのですね。日本に戻ってきて校庭の石のことを家族と話しました。私の通った小学校では、休憩時間や朝礼のたびに一人二つ以上石を拾いましょう、と先生に言われてやっていました。その頃は意味なんか考えなかったし、面倒くさいと思っていました。しかし今、自分が当時の先生方と同じ年齢になり、校庭で遊ぶ子供が少しでも怪我をしないようにという配慮だったことに気づき、自分たちがいかにいろいろな人達に守られて育ったかが解りました。カンボジアの子供も日本の子供もみんな同じように大切で、かわいいです。だから出来るだけ怪我をしないように校庭を整備することは必要なことだと思う。でもそれを私達が思うだけじゃなくて、学校の先生や保護者が必要だと思わなければ、進まないでしょう。衛生状態もよくない、医療体制も整っていない村で大きな怪我をしたらどうなるかを考えたら、怪我を防ぐために校庭をきれいにすることの意味に気づくかもしれない。
今自分にできることは、ただ目の前にあることをこなしていくだけです。でも遠くの国で、同じ人間なのにいのちを軽く扱われてしまう人達がいることを知って、見過ごすことは私には出来ない。こんなこと言うと偽善者みたいだけど、確かに何を言っても泣いても私は彼らの立場にはなれないのだから、偽善でしかないのだけど、平気ではいられないです。いつかまた、カンボジアに行きます。その日まで私は私の仕事をします。人が自分のいのちを大切に生きられる世界になるように願いながら。
最後に、みなさまお元気で!ありがとうございました。 K.S.