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 参加する。体験する。考える。「カンボジアこどもの家」

スタディーツアー・ボランティア体験参加者よりの声



期間:2004年7月28日〜8月3日  樽谷和子さん(亀岡市)
カンボジアスタディ旅行記録

7月28日(水)
いよいよ出発の朝。5時30分,車で自宅を出る。何を学び何を得て帰ってこれるか期待するものが大きい。
バンコク到着。
 栗本さんが用意してくれてあったワゴン車で一路アランヤプラテートに向かう。バンコク周辺は10年前に来た時とはすっかり様変わりしていてビルがびっくりする程増えている。しかし,数年前にバブルがはじけてからは資金繰りができないため,建設が中断されたままになっているビルが目立つとのこと。なるほど日本では考えられないことだが都会の真ん中にコンクリートの骨組だけの建物が幾つも見られる。3時間程走ると,いよいよアランに入る。国境警備の軍隊が常時配備されているだけに,お金も沢山落ちるのだろう。街の様子が落ち着いて見える。

15時,アランマーメイドホテル到着。
 夕方、街の中を小一時間ぶらぶらと歩き,アランの雰囲気に浸る。屋台のある通りも多いがあまり売れているようには見えず、人々はおおむねバイクの2〜3人乗りで行き交っている。その人達が時々知り合いなのか屋台に立ち寄り,のんびり話をしながら,いろいろな食べ物を食べていて、何とも長閑。
 紛争時代(1980年代)には国境に難民があふれ,殊に1997年の武力衝突時には難民が膨れ上がり,世界中から支援のためのNGO関係者やジャーナリストが集まり,これらの人々で世界一賑わった町だったとのことだが、今はすっかり静まっている。



7月29日(木)
 夜が明けたのは6時少し前位か。今はこの地域は雨期、どんよりした雲が空を覆っている。昨夜も星はほとんど見えなかった。今朝の空も厚い雲におおわれていて今日も強い日差しは避けられそう。昼の日差しが和らげられるのは嬉しいが,せっかくのチャンスに南十字星が見られないのは残念。
 朝食後,8時にロビーに集合してトゥクトゥク(オート三輪のタクシー)に乗り国境に向かう。途中,道の両側にはさわやかな朝の風景が広がっているが,道路は国境に向かうバイクや車,トラック,トゥクトゥクでにぎやかだ。国境付近はまさに混沌としている。私達のトゥクトゥクが国境に近づくと,たちまち荷物運びの若者達が荷車を引いて追いかけて来る。荷物を下ろすと早速自分の荷車に積み込みかねない勢い。慌てて断って,それぞれの荷物を持ってタイ税関(出国申請)に向かう。初めての陸路での国境越え。物珍しさに写真を何枚も撮ってしまう。魚,果物,氷等を積み込んだ荷車がどんどんカンボジアに向かう。運び込まれる食料品は,カンボジアでも十分栽培できそうな物ばかりに見えるが,内戦で国土が破壊されてしまった今,何も生産できない状態になってしまっているとのこと。
 タイを出国して国境を越え,カンボジアに。外国人の通る道には,片足を失った人や貧しそうなお婆さんなどが物乞いをしている。栗本さんの慈悲魔の話を思い出しながら,目を合わさないようにして行き過ぎる。国境にはCCHOMEの青年スタッフの辻田さんが車で迎えに来てくれている。さっそくカンボジアに入ると,道の両側にはゴウジャスなカジノが何軒も並んで造られている。広い芝生,立派な建物のカジノの前の道路では,裸足のカンボジア人が必死に荷車を引いて荷物を運んでいる。カジノで遊ぶ裕福な人々を目の前に見ているだけに,人々の心が荒んでしまうのも仕方がないことのように思われる。
 さらにカンボジア側に入ると,ゴミの多さに驚かされる。路上の吹き溜まりにはゴミが山になって集まり,至る所ゴミが散乱している。また,車で少し進むと,どろどろの水たまりだらけの道が現れる。国と国との貧富の差があまりにも歴然。街の中心を走っている道路であるにもかかわらず、車は水たまりを避けてガタンガタンと大きく揺れながら泥水を跳ね上げて進む。やがて水たまりは無くなったがぬかるみはさらに大きくなり,ガタゴトと揺られながらデコボコの道を30分程走って,ようやくCCHOMEに到着。
 CCHOMEのホールで2〜3時間,オリエンテーションということでボランティアや教育について語り合う。「人のために。」と考えることが犯してしまう間違いを栗本さんに指摘され,多いに納得させられる。話しに疲れたところでKさんが昨夜アランで買ってきたマンゴスチンとドラゴンフルーツをむいてもらって頂く。南国に来たことを実感し、ホッとリラックスする。
 昼食を用意していただき,HOMEのスタッフの中井さん・辻田さんも交えた7人で食卓を囲む。焼きそば(クイティアウ)とスープにご飯。日本人の好みに味付けしてくれていてとても美味しい。
 今日は月末の木曜日で、先生達のミーティングのある日。3時頃,次々寺子屋の先生達が集まってきていよいよミーティングが始まり、参加させていただく。全く意味不明だが,真剣に訴えている人やユーモアたっぷりに話している人など先生達の個性が出ていて面白い。お父さんが静かにゆっくり話をまとめている。

・雨期に入り,生徒の登校率が低くなっていて,授業が成立しにくくなっている。そのため授業数が減るケースも出てくるため,給料が減ってしまうのではないかと心配。
・新年度から5年生がくるので校舎を増設して欲しい。
・わらの校舎が傷んでしまったので,鉄筋の校舎にしてもらえないだろうか。
・図書館の本を借り出している学校が返却してくれないで困っている。早く返して欲しい。

 等等。しかし、以前は,村の中で捨て子があったとか,登校できていない生徒の家に行ったら売られてしまっていた等という各学校で起こっている子ども達の生活にかかわる問題が話題の中心だったが,最近は校舎の設備等に関することが多くなってきているとのこと。子どもを取り巻く環境はさほど変わっていない中で,この変化は喜んでよいのかどうか疑問に思っていると話された。

 もう一つの大きな問題は教育省から教師が派遣されるようになったため,元々の村の先生が学校から少しずつ減ってしまっていること。何といっても教育省から送り込まれる先生の方は学歴もあり,授業の進め方についての知識も豊富なため,村の先生は授業をする時間が減らされてしまう。そうすると,生活が成り立たないこともあって止めざるを得なくなる。しかし,村の先生の多くには熱い思いがあり,子ども達に好かれていた先生も多かっただけに減っていくことを心配しているとのこと。どこの国でも,現場から遠く離れた人達が考えたり,行ったりすることで子ども達の学習や生活が混乱してしまっていることが多いようだ。

 私達がホールでミーティングでの話の内容を聞かせていただいている間も,まだ給料をもらっていなかった先生達が居間兼事務所の部屋に入って行く。やがて,先生達の姿も見えなくなった頃,建設中のキャンプ場と新校舎を建設中のオルセーカンダール校の見学に出かける。

 キャンプ場は,宿泊棟(3人部屋が5部屋ある棟を3棟建設予定)の最初の1棟とシャワー・トイレ棟の棟上げが済んでいて目下内装が進行中。円形のミーティングルームは建設が難しいこともあって,まだ煉瓦の土台が積み始められたところ。周囲一帯は、一面に落花生が植えられている。やがては芝生にして宿泊者達が現地の子供や若者達とサッカー等をして交流できる場所にしたいとのこと。また,近くには5mの深さまで掘り下げられたため池もあって魚を養殖中。栗本さんは将来はこの敷地の周囲に椰子の木を植えて森で囲み,カンボジアの自然の中で日本の子供とカンボジアの子供の交流を進めたいとのこと。こんな一大事業を個人の力でやっていこうというのだから夢が大きい。

(1)オルセーカンダール校・・・・CCHOMEが新校舎を建設中。今までよりもがっしりした校舎ができるのはすばらしいがそれにしても旧校舎の状況はひどい。雨水が教室に流れ込んでどろどろ。こんな荒れ放題の教室でまともな授業ができるとはとても思えない。オカさんもさすがに怒りが抑えられないようで,「僕がここにいればこの状態を黙って待つことができずつい厳しい言葉が出てしまいます。やがて感情の行き違いができてしまうので,最近はHOMEを留守にすることが多いんです。」と語る。現場にいる人達が自分からやる気を出さなくては何事も前進しないことはよく分かるが,支援するということの難しさを改めて突きつけられたような気がした。



7月30日(金)
 初めてのCCHOMEでの朝。HOMEの前の道に出ると、犬が心配そうに付いてきてくれる。朝食を取って身支度を済ませ,今日は辻田さんに案内してもらって幾つか小学校を見学することになる。

(2)オルセークラオム校・・・・2クラスだけ授業中。最初の1クラスはついつい興味が先に走ってしまって子ども達の写真を撮りに入り込みすぎて迷惑をかけてしまったかもしれない。2〜3冊の教科書を6〜7の子ども達が囲んで音読の練習中。みな大きな声を出して読みの練習に励んでいてすがすがしい。

(3)オルセールー校・・・生徒数750人のマンモス校。数クラスが授業をしていたが,私達が着いたときちょうど休憩時間が始まる。低学年の教室を覗くと子供達が三々五々お菓子などを食べリラックスしている。早速中に入って行って「指差し会話帳」を広げて年齢を聞いてみる。私がなかなか数字を聞き取れないでいると、子供達が声をそろえて、「ムオイ、ピー、バァイ・・・・」と教えてくれる。その後も色や洋服のことなどを聞いては、言葉を教えてもらいながらしばらく子供達に遊んでもらう。やがて、授業が再開されると、生徒達が教室に戻り校庭は静かになるが、今度は遠くから覗いていた午後の授業の生徒が私達の近くにやってくる。子供達はどこの国でも好奇心旺盛だ。

(4)オーニエン校・・・ここは地雷原の隣にある学校で、現在NGOが新校舎を建設中。午前の授業は既に終わっていたがかやぶきの旧校舎には10名ほどの子供達が残って遊んでいた。ここでも子供達とクメール語の発音練習。動物のページを開いて教えてもらう。セミは「レイ」。セミの鳴き声を真似てみるとアブラゼミとクマゼミはいるがヒグラシやミンミンゼミは聞いたことがないとのこと。ページをめくっていって、裸のお釈迦様の絵を見つけるとくすくす笑って顔を見合わせたりするところは、カンボジアも日本も子供の姿は変わらない。

(5)プレイコップ校・・・300人規模の中規模校。昔からの村の中にある学校とのことでグランドには大きな樹もあり落ち着いた学校らしいたたずまいの学校。教室内も、クメール文字の一覧表や面積の求め方らしき掲示物が貼られていたりして、ここにいたら文字もしっかり覚えられそうに思われる。以前、門の前に赤ちゃんが捨てられていたが、

 午前中の見学を終え、ホームに戻って昼食をとる。昼休みをした後、再び学校見学に。

(6)ツールボンロー校・・・HOMEに一番近い学校で、HOMEのスタッフの中井さんが現地の先生に日本語を教えながら日本の絵本にカンボジア語を書き加える作業などをして図書館の整備を進めている。ただ、絵本が中心なため、子供達は少し学年が上がると読む本がなくなってしまうため来館しなくなってしまうとのこと。もっと子供達が通い続けたくなるような図書館に整備できるとよいのですが・・・・。
学校では一人の先生は奥さんの出産が近づいたため家に帰られたとのことで、若い男の先生が2クラスを行ったり来たりして授業を進めておられた。

 学校を後にして,ポイペットの市場に向かう。途中の道は昨日に比べれば雨が上がってから時間が経っている分だけ泥濘はましになっているが、とにかく凸凹だらけで車同士がすれ違うのは互いに道を譲り合わなければならず大変。辻田さんは寺の祭事にお供えするためのあげものを探して購入する。ポリバケツのような入れ物の中に石鹸やちょっとしたお菓子タバコ(!)などが入っている。
 HOMEに帰り着くと中井さんが今や遅しと待ち兼ねていて、早速お寺さんにお参りに行くとのこと。お寺ではHOMEのお母さん達が待ってくれていてお寺の中に上がらせてもらう。何も言葉はわからないがカンボジアの人たちに混じってお経を聞くという単なる旅行ではできない体験をさせてもらい、カンボジアの日常生活の一端を直に感じた一時でした。


7月31日(土)
今日は午前中2校、午後2校の訪問をする。

(7)サンタピアップ校・・・2000年1月開校、生徒数383人。昔は50〜60世帯だった森で囲まれた村の中に前々からあった学校とのこと。2クラスで数学の授業が行われていた。低学年のほうでは2桁の足し算を、高学年のほうでは女の先生が図形の授業をされていた。教室内にあった竹の筒や木片、生徒が持っていたストローなどを臨機応変に使わせて、生徒達に長方形の周の長さや長方形から作られる立体について発表させて授業を進めていた。

(8)サマキミェンタイ校・・・2002年8月開校。授業はしていなかったが、私達がグランドにいると間もなく先生がやってきて、「生徒が来ない。」と話しかけてきた。グランドの片側には畑が作られていて、ヤシの木やカボチャなどが植えられている。グランドにもマンゴーの苗が植えられていて成長が楽しみ。ここのグランドからはポイペットのゴルフ場の建物が見え、裕福な人達が遊ぶ姿の横で自分達の貧しさがひしひしと感じられるのではないかと思われる地域だ。

 HOMEでの昼食を頂いた後は、辻田さんの運転で中井さん、Kさんと共に、図書館の先生と合流して遠くにある2校の訪問に向かう。しばらくは完全舗装の道路を気持ちよく走るが、たちまちいつもの凸凹道へ。学校に近くにあるお寺さんを抜けようとすると大きな水溜りの連続が始まる。中井さんのアドヴァイスで一気に水溜りを走りぬけようとするがとうとう二度目でエンストしてしまう。押したり引いたり苦労していると、このときお寺さんの方から三人の若者が!別に何事でもないかのように、車を押して水溜りから上げてくれたのです。「オークン!オークン」をくり返す私達を尻目に颯爽と帰っていきました。ところが、バックで切り抜けようとした車はまたまた水溜りにはまってエンストを。再び颯爽ともどってきてくれて今度は安全なくさむらまでしっかり車が戻るのを見届けて去っていきました。カンボジアではよくあることとのことでしたが、助け合って生きている人々の姿に感謝でした。

(9)オンドントモメア校・・・2003年8月開校。校舎は一棟はつぶれ、もう一棟は屋根に穴があいている。新校舎(NGOが建設中)は、ほぼ完成に近い。しかしこの建設にはカンボジア人(地元の人)は全く関わっておらないため、建設による地元への還元は何もないとのこと。結局、先生は誰も居らず空しく後にする。

(10)ステンボット校・・・2003年1月開校。建てることになっている門がまだ作られていないと辻田さんと中井さんがぼやいている。数人の子供達が先生が来ないからと言って遊んでいる。その後も子供達が3〜4人やってきたのでここでも指差し会話長で単語の読みを教えてもらう。足し算なども試みてみる。拙いカンボジア語で子供達に「学校は好きか?」と尋ねると、期待されている答えに気付いているのかなと思わされるような感じではあるが、「好き!」と答えてくれた。ここは大阪市の教職員が支援している学校で今春山田先生が植えられた植物がどのように成長しているのか知りたかったので中井さんに案内してもらう。ひまわりは土地に合わなかったのか枯れてしまっていた。菜園では、カボチャが1本だけ育っていた。他に水草と言う菜物が育っていた。
 私達に気付いて男の先生がやって来られたので、同行したツールボンローの図書館の先生が今日の用件である図書館の本を返して欲しいということを伝える。しばらくするとバイクの後に奥さんの女の先生を乗せて男の先生が戻ってくる。先生も生活していかなければいけないので学校のことに専念しきるのは難しいようだ。


8月1日(日)
 カンボジアで一日中過ごせる最後の日。朝、5時に携帯の目覚ましがなる。日本では休日の朝の7時になっている時間だ。5時半くらいになると明るくなり始め、急にニワトリ、アヒル、豚達の鳴き声が大きくなり、ラジオの音も元気に始まる。今朝はどうしたことか電気を売っているカラオケ屋がスイッチを切り忘れていたらしく、部屋の明かりは煌々としているし、今朝初めて入ったテレビ放送はガンガンなっている。もちろん、カラオケ屋からもカンボジアの歌が風に乗ってよく聞こえてくる。亀岡の静かな朝が恋しくなる
 昼食後は、ポイペットの町へ6人でカジノ見学と買い物に出かける。カジノの中は日本のゲームセンターの感じで、特別豪勢な造りでも何でもない。ここが道すら整備できていない国の中にあることさえ忘れられたら、日本人の目には普通のレジャー施設に過ぎないだろう。でも、このカンボジアにどうしてこんな施設が作られてしまうのだろう。人々の心が荒んでいくのに拍車をかけるだけではないだろうか。

 最後の夜だ。お父さんを囲んでのいつもの夕食が終わると、今夜から日本語教室が始められた。ホールと事務室とを使って、上級者と初心者のクラスに別れて始まる。上級クラスは中井さんが、初心者クラスは辻田さんが受け持って、それぞれに若者と子供達とが集まって元気よく勉強が、始められた。自分から学ぼうとするとき、子供達は本当に生き生きしていて目が輝いている。この姿を長く続けさせてやれることを願わずにはいられない。


8月2日(月)
 前向きに生きているHOMEの人々の姿に接して過ごせた五日間と、お世話いただいた人々に感謝しながら、お別れをする。

 最後に再度の訪問をしたツールボンロー校では、Kさんが持参したカードや教具を使って英語の授業をされていた。子供達がとても楽しそうに、始めて習った英語の単語を必死で思い出しては大きな声で発音して、ゲームに参加していた。日々の授業でもこんな場面を一杯作ってやれるとよいのだが、日本の子供達は余りに楽しいことに取り囲まれすぎているので難しいことだろう。食事でも、学習でも、適度の餓えが大切に思われる。
 その後、辻田さんの運転で中井さんに付き添ってもらいながら、国境の町ポイペットに向かう。カンボジアからの出国の手続きを済ませたら、中井さんとはお別れ。何から何までお世話になりました。
空港に到着した後、いよいよ辻田さんともお別れ。本当にお世話になりました。ありがとう。