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期間:2005年5月26日〜6月1日 藤野充さん(兵庫県)


「カンボジア子どもの家」スタディーツアー レポート 
              
 今年の3月末に妻が山仲間二人と一緒にこのツアーに参加して帰って来た。話を聞いているうちに自分も行ってみようかなと思って、マイチケットさんにに電話したところ、まだ空きがあるとのこと。間もなく送られてきた申込書に添えられていたのが、滞在中の注意事項のプリント。その前書きの中にこんな文章があった。『日本円にして月間数千円程度の収入で暮らす村の人々と、日本から訪れる人々の経済的な格差は、恐ろしいことに100倍以上となります。これは、私たちが持っていく金品の価値が現地では暴力的なほどの力を持っていることを意味します。』と。私が帰国して2週間後にシェムレアプで起きた悲しい事件での身代金要求額の驚くほどの低さが、この一文から容易に理解できる。

 5月26日午前9時30分、今回のツアーに参加した7名はマイチケットの藤原さんに見送られて関西国際空港を飛び立った。6時間後、タイはバンコック空港に無事到着した。出迎えてくれたのが日本人スタッフのとても明るい快活な広瀬さん。実は彼女は今回ツアー参加者の一人E.M.さんの友人だとのこと。この日はバンコック市内のホテルに一泊した。バンコック市内は大阪の街と何ら変わらない。あちらこちらで工事中の建物があるのと、どの道路にも焼肉などを売る屋台が多いのが印象的であった。

 翌27日早朝マイクロバスでドイツのアウトバーンを思わせるような立派な道路を走る。約4時間掛かってアランヤプラテートに着き、徒歩で国境を越えカンボジアのポイペットという町に入国。何とこの国境付近にはいくつものカジノの建物が林立しており、互いにその威容を誇っているのが目につく。荷物を運ぶ客がいないかと旅行者に声を掛けてくる大勢の男達、バイクタクシーと荷車が喧騒の中で埃を舞い上げている。C.C.Homeから迎えにきてくれた2台の車に分乗して走ること小一時間。タイとは全く違って土だけの砂利道で、途中男性スタッフの滝川君が運転する一台がぬかるみでスリップして動けなくなり、もう一台を運転していたカンボジア人スタッフが運転を代わり、その手馴れた技のお蔭で、やっと窮地を抜け出すことができた。C.C.Home がつい最近建設したばかりのキャンプ場に着いたのがお昼前。ここがこれから4日間滞在するところである。空は薄曇りのように見えてもジリジリと暑いのに、陰に入ると嘘のように涼しい。建物の床には陶器製のタイルが敷き詰めてあり、素足にはひんやりと心地良く、暑い国ならではの知恵が感じ取れる。

 C.C.Homeのカンボジア人スタッフが用意してくれた昼食である。白いご飯と和風味のスープに鶏の唐揚。ご飯を盛ったお皿やスープの入った器には、どこからともなく嗅ぎ付けてきた蠅がワンサカたかっている。この蠅を手で振り払いながらスープをめいめいのご飯にかけて食べるのだが、驚いたことに今回のツアーに参加した人は誰一人嫌な顔を見せずにおいしく頂いた。在期間中、最後の日まで三度の食事はその度にメニューを変えて私たちを飽きさせないように配慮してくれていた。食事が済むとオリエンテーションとツアー参加者の自己紹介が行われた。

 オリエンテーションではC.C.Homeが現在支援している小学校が18校あり、その学校の先生の給料を補助することや労務管理、建物その他設備の維持管理が主な仕事で、時々学校の先生方を集めて会議をしていることなど説明があった。また、学校に出て来ない(来られない?)子どもの家庭を訪問し、子どもが学校に出て来られるように親権者を説得するのもその役目なのだそうだ。

 ツアー参加者は50代後半のT.O.さんご夫妻、50代後半の看護婦経験者のM.M.さん、30代のキャリアウーマンのY.K.さん、20代前半ミスE.M.さん(広瀬さんの友人)、ジャスト20歳の女子大生A.K.さんと、最年長となる私の7名である。皆さんそれぞれC.C.Home代表の栗本英世さんの講演会を聞いたり、ホームページを見たり、私と同じくツアー体験者の話に惹かれて来た人もあり、人道支援とかボランティア活動に関心の高い、心やさしい素晴らしい人たちばかりであった。

 この日、ある学校に移動図書館がやってくるというので、そこを見学することにした。図書館がある学校は18校のうち1校だけで、この学校の先生が民話などの紙芝居を見せに各学校を回るのを移動図書館と言うのだそうだ。紙芝居の始まる前に子ども達にパズルゲームをさせていたが、今後も移動図書館を続けるにあたって、紙芝居の前座としたいので私に手品を教えて欲しいと言うのである。(ツアー申込時に、私が多少手品の心得があることを表明していた。)広瀬さんに通訳してもらい先生の都合を尋ねると、明日土曜日なら時間が取れるということだったので、午前中にその先生が勤務する学校を訪問することを約束して宿舎に戻った。

 宿舎に戻って間もなく、稲光がしたかと思うとポツリポツリと大粒の雨が降り始め、やがて雷の大音響と共に豪雨が降り続き、今度は台風かと思えるくらいの突風が吹き荒れて、私たちが食事をする円形の集会場はあっと言う間に水浸しとなってしまった。40分程で何事もなかったかのようにスコールは過ぎ去り、たまたま集会場で雨宿りをしていた私とT.O.さんは、カンボジア人の男の子や女の子と一緒になって水をかい出し、モップや雑巾で濡れた床を拭き取った。スコールの最中にはカンボジアの男性たちがトタン板を樋代わりにして、屋根から落ちる雨水を大きなプラスチック製のタンクに流し入れている。これを更に屋上のタンクにポンプアップしてトイレとシャワーに使っているのだ。そう言えば付近にある民家の庭にも大きな陶製の水甕がいくつも置いてあり、水道のないこの地では雨水が貴重な水資源となっているのだそうだ。ここで飼われている犬たちや山羊の親子、にわとりの家族たちも雨が上がるのを待っていたかのように一斉に飛び出して来てそこら中を探索し始める。この近辺には配電されていないので、夕方の6時半になると軽油の発電機を回して点灯してくれるが、節約のため夜10時には消灯となる。夜遅くもう一人の女性スタッフ中井さんがプノンペンでの所用を済ませて戻ってこられた。

 翌28日午前中、図書館のある学校に行き、移動図書館を担当している女の先生2人の他にも男の先生たちとも楽しいひと時を過ごすことができた。先ずはツアー参加のメンバーにも手伝ってもらい、いくつかのパート分けをして手拍子による合奏の練習を開始。スタッフの中井さんに通訳して貰いながらの練習なので、最初はなかなかうまく合わなかったが、やがて3部合奏くらいまで出来るようになり一安心。また、100円ショップで購入し持参したガラスのコップに水を入れ音程を変え、竹箸で叩いて即席マリンバにして見せたところ、結構受けたようである。カンボジアの民謡を歌ってもらい、これを写譜して演奏して見せたところ、ある男の先生はこの曲が弾けるようになるまで夢中になって練習していた。その後これも持参した木綿のロープを使った手品を一緒に練習してもらった。結び目が移動してロープから外れてしまう手品を見ていた子どもが、外れた結び目をパッと手に取って見て不思議そうに首をかしげていたのが可笑しかった。しかし、余りにも短い時間での講習なので、果たして完璧にマスターしてもらえたのかどうか不安である。側に寄って来た子どもたちには、ちょっと厚手の紙で紙飛行機を折ってもらい飛ばしっこして遊んだ。一人に紙を渡すと我も我もと大勢の子どもたちの手が伸びてくる。

 この日の午後別の学校を訪問したが、休憩中のクラスで手品を見せてやって欲しいと頼まれた。用意してきた手品の材料は午前中訪問した学校に全て置いて来たので、即席でティッシュペーパーを使った手品を見てもらった。T.O.さんが飛び入りでコインを使った手品を見せたところ、すぐに子どもたちにタネを見破られ教室中に笑いが渦巻いた。

 5月29日(日)学校が休みなのでポイペットの市場を案内してもらうことになった。つい2日前に通ってきたばかりの国境に近い場所にその市場はあった。果物や魚などの生鮮食料品から洋服生地や腕輪などの装飾品にいたるまで、日常生活に関連した商品が所狭しと並べられている。籠の中から鯰とおぼしき魚が飛び出して地面でぴょんぴょん跳ね回っているかと思うと、すぐ先ほど皮を剥かれたカエルがぴくぴく動いている。何十羽というニワトリが鳴き声を上げて羽ばたいている。市場と言ってもテント張の店が殆どで、通り道はぬかるんでおり、色々なものが入り混じったにおいと喧騒に耐え切れなくなって、香港は九龍の市場を思い出しながら15分程でその場を逃げ出してしまった。農産物も工業製品も地元のものはあまりなく、殆どの商品はタイからの輸入だとのことである。集合時間にはまだ間があるので近辺を歩いてみた。何台ものバイクタクシーが近づいて来て、乗らないかと声を掛けてくる。需要を超えた客待ちタクシーが何列にもなってずらっと並んでいる北新地と同じ現象がここでも見られる。集合場所に戻ると、キロ単位でしか売ってくれない筈の果物を自分が食べる分だけのいくつかと一人用の蚊帳を買った人、装飾品を買ったがどうも釣銭が少ないような気がするという人など、全て通訳なしで買い物をしてきた女性陣。恐るべし関西のオバチャンたちである。

 宿舎に戻る途中数少ない病院を見学するため立ち寄った。平屋建ての清潔そうな病室には何人かの入院患者がいた。その日の当直医が説明をしてくれたのだが、医療設備・薬品は勿論、医師や看護婦が少なくて大変なようである。

 午後は二つのグループに分かれて行動した。中井さんの案内で私とY.K.さんは、ある家庭を訪問した。中井さんが仰るには、私の妻が3月のツアーに参加したときに持参して置いて帰った布製の人形に、この家の二人姉妹が洋服を自分達で縫って着せており、今日は更にスカートを縫ってもらおうと、日本から送られて来た別の生地を持参し、裁縫の先生としてY.K.さんに同行してもらったのだとのことであった。出迎えてくれた姉妹が持っている人形にはワンピースの服が着せられ、無地だった筈の顔には目鼻が書き入れてあった。Y.K.さんの指導のもとで見事にスカートが出来上がり、二つの人形に着せて記念撮影をした。また同じ生地とゴム紐を使って髪留めの作り方も教えてもらい、それぞれ髪を束ねて留めてもらった二人は、はにかみながらもとても嬉しそうであった。「この姉妹は両親ではなく祖父母に厳しく育てられており、スキンシップを求めているのです。」と言いながら女の子の髪に何度も何度も優しく丁寧に櫛を入れておられる中井さんの姿を見て思わず涙ぐんでしまった。

 宿舎に戻る途中、「アジアン・ハイウエイ」を案内してもらった。まだ工事途上なので車は走っていない。飛行機でも着陸できそうなだだっ広い道が延々とタイに向かって伸びている。回りには何もないが、良く見るといずれ何らかの設備ができるのだろうか、目印の杭が立ち並んでいる。建築中の大きな物流倉庫を横目で見ながら国道へ入る。カジノを建築するからと言っては土地を撤収され、ハイウエイが出来るからと言っては棲家を追い出される村人たち。まだ地雷が残っているかも知れない荒地へと移動せざるを得ないのだ。巧みにハンドルをさばく中井さんの話を聞いて、穴ぼこだらけの国道で何台もの大型トラックとすれ違っては揺れる車にしがみつきながら暗然とした気分になる。

 その晩の夕食前、発電機が故障し、ローソクの明かりのもとでの食事をし、昼間華僑が経営するスーパーマーケットで仕入れてきた缶ビールでささやかな宴会となった。今回のツアーに参加した人一人ひとりにカンボジアを見たまま感じたままの感想を聞かせてもらった。日本での日頃の生活と余りにもかけ離れた現実を目の当たりにして、どう表現して良いのか戸惑うことばかりであり、私達に一体何ができるのか、どうすれば良いのかは分らないというのが大方の意見であった。ただ、ポイペットの人々の厳しい生活を知っただけでも今回のツアーに参加した価値が充分あるということでは皆の考えが一致した。

 5月30日(月)は私の誕生日である。満63歳にして元気にこのような旅行に参加できたことが何よりのプレゼントとなった。実はこの頃私のお腹は懸命に細菌と格闘していて、コルクの栓が必要に思われるくらいの症状であった。心配してくれた日本人スタッフのどなたかが朝食におかゆを頼んでくれていた。何とも行き届いた心遣いに感謝した。出発前に掛かり付けの医師に処方してもらった薬を試したが全然効かなかった。(帰国して3日にしてやっと回復した。)

 この日は、宿舎から歩いて行ける一番近い学校を訪問した。小学校はコンクリート造りであったが、隣にある中学校は藁葺き校舎である。中学校ではたまたま先生がどこかへ買い物に出掛けたらしく、自習中のクラスがあったので、教室に入ってツアー参加者が日本の歌を披露した。春が来た、茶摘、村祭、雪などの童謡と、上を向いて歩こうを歌った。小学校では授業中の様子を窓の外から見るのだが、全員が教科書を持っている訳ではなく、紙のノートの代わりに小さな黒板とチョークを使っている。あるクラスではM.M.さんが持参した折り紙を使っての鶴や風船の折り方教室が大人気である。校庭にいた子ども達2,3人に手品を見せたところ、あっと言う間に大勢の子ども達に取り囲まれて身動きができない程であった。授業中であれ、休憩時間であれ子ども達はとても嬉しそうである。勉強できるのが楽しくてしようがないという感じで、目がキラキラ輝いている。今の日本の子ども達と比べて果たしてどちらが幸せなのか考えさせられる。

 校庭にはどこかの組織の支援で遊具や花壇がしつらえてあった。この設備が出来る前、子ども達はサッカーなどして自由に遊んでいたのに、今は出来なくなったとのこと。中学はあっても3年生の生徒は殆どいないと言う。建築現場に働きに行き学校には出て来なくなるのだそうだ。無事に卒業しても就職先がある訳ではなく、出稼ぎにタイへ不法入国する。良い警官に捕らえられると強制送還されてくるが、悪い警官の場合だと、その後行方不明となってしまう。こんな話を聞いているうちに、思考回路はまるで未だ数多く残されていると言われる地雷原に足を踏み入れたように立ち往生してしまうのだ。

 5月31日ボランティア体験のため残るT.O.ご夫妻とE.M.さんの3人と別れを告げ、他の4名が帰国の途に着く。タイの路線バス乗り場までは中井さんが、バンコック空港までは滝川君が付き添ってくださった。バンコック空港には、日本での講演会から戻ってこられたばかりの栗本代表がわざわざ私たちを見送るために待っていてくださった。帰国間際の短い時間ではあったが、夕食をご馳走になりながら親しくお話を聞くことができた。自分がポイペットで見聞きしてきたことと栗本代表のお話を摺り合わせながら、支援とは一体何だろうか、現地で直接働くことが無理であっても、日本国内で支援ネットワーク造りのお手伝いはできないだろうか、など深く考えながら関西国際空港へ向けての機中の人となった。

 滞在期間中に何かとお世話になった中井さん、広瀬さん、滝川さんを始め、C.C.Homeのカンボジア人スタッフの皆さんに心から感謝の意を表したい。また、私一人だけの考えかも知れないが、今回のツアーに参加された皆さんが、一言では言い表せないような経験を共にした仲間のようにも思えるのだ。勿論、このような貴重な体験をさせてくださった栗本代表という偉大な存在があってこその話なのである。