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期間:2005年8月18日〜8月29日 山田つばささん(大阪府)


 去年の夏、私は中国で幼い女の子の物乞いに出会いました。その子は空のカップメンのカップを手に持っていて、顔は汚れていました。私は今までテレビ以外で見たことのない幼い物乞いの子供がほとんどもう触れられるくらいの距離にまで近づいてきたことに衝撃を受け、その時はパニック状態になってしまって結局お金はあげませんでした。その後私はなぜお金をあげなかったのか、自分はどうすればよかったのかと葛藤して泣いてしまったのですが、しばらくして落ち着くと、「よし、アジアに行こう。」と思いました。というのも日本にいたんじゃ私は毎日温かいベッドで眠れて、おいしいご飯がお腹いっぱい食べられる環境におかれているから中国で出会ったような子供達が見えてこないと思ったし、やっぱり自分の目で見ないといけないなと思ったのでカンボジアに行くことを決めました。

 カンボジアでは学校をいくつか回らせてもらい、そこで出会った子供達はすごく人なつこくて元気いっぱいで、本当にキラキラしているなぁと感じました。しかし、1日目はただ本当に楽しいというだけだったのが、2日目になると私達が学校を訪れることはどうなんだろう・・と思い始めました。私達は大人数でどかどかと押し掛けて写真を撮り、10分やそこらで帰る。授業中の子供達の中には私達が見学することによって気が散る生徒もいるし、さらし者の気分になるのではないかな・・と思いました。また先生達にとっても(授業をサボっている先生は論外として)私達がしゃべりかけることで授業が中断されるし、毎月私達のような日本人が来ることがプレッシャーになっていないだろうかと思いました。(これは私の母が小学校の教員で誰かが授業を見学(教育実習も含めて)することはプレッシャーになるし、また子供の中にも気が散り、授業に集中できなくなる子がでてくると以前に聞いたことがあったのでそう思いました。)また、先生方は学校支援者が連れてくる人々を嫌とは言えないと思うし、実際のところはどう感じているのだろうと思いました。このジレンマはスタッフの方とも話をしたのですが自分の中に答えを見つけることができず、スタディーツアー後半は学校に行こうという気持ちが起こりませんでした。そのため、私の中でカンボジアの学校というものが少し遠くなってしまいました。

 しかし、学校ではカンボジアで起こった戦争について教えていないということを知り、私はぜひ教えてほしいと思いました。というのも、自分達が今こんな状況にあるのは先の戦争が原因であり、それ以前はしっかりとした国だったことを知れば二度と戦争をしないということと、ここから自分達はもう一度頑張るんだという気持ちが生まれるのではないかと思ったからです。このこともスタッフの方と話し合う機会があったのですが、その時は「カンボジアは戦後の日本とは違い、教育制度が完全に破壊されてしまっていて、戦争教育をする段階ではない。」と言われました。けれど、そんな段階じゃないということが誰にわかるんだろうと思ったし、また別のスタッフの方からは親達が戦争を経験していて、何も教えなくても子供達は戦争のことは感じとっていると言われたのですが、親達は思いPTSDになっていると思うし、つらい記憶を積極的に子供に語ろうとすることは少ないと思います。だからこそ月1回、2ヶ月に1回でも戦争が全てを壊してしまうということを学校で教える必要があるのではないかと思いました。ただ、戦争教育をするにしてもどんなふうに教えていくのか、教える立場である先生方を指導しなければいけない、けれどもその先生が通常の授業さえサボったりしている現状があるという話を聞いて、私の考えが浅く、今のカンボジアの現状にあっていないものなのかもしれないとも感じました。ただ、栗本さんではなく、自分と同世代のスタッフの方からの情報は不確かなものもあるし、戦争教育についてはどこか府に落ちないところがありました。

 また、今回の旅の中で私はシェムリアップに行く機会があったのですが、オールドマーケット付近にはたくさんの物乞いの子供達がいました。ある幼い男の子は小さな赤ちゃんを背負って私の横にぴたっと張り付き、「one meal please.」とまるでお経のように繰り返し、とても不幸そうな表情をしていました。けれど、去年の中国の時とは違い、私は動揺しませんでした。なぜならその前日にスタッフの方と子供の物乞いの話をしていて、私の中でお金はあげないと決めていたからです。そして私はお金をあげる代わりに「何歳?」とか「どこに住んでいるの?」と聞くようにしました。(←これはスタッフの方の受け売りです。)なぜなら、シェムリアップでは欧米系の人や韓国系の人が子供達にお金をあげている場面をたくさん見かけましたが、大きいほうの子が幼いほうの子を殴ってそれを取り上げているのを見てお金をあげることが解決にはならないんだと思ったし、なにより子供達の自尊心を傷つけてしまうと思いました。また、私が普通に話しかけるとお経のように繰り返し恵んでくれと言うのをやめてくれるし、中には笑顔でいろんなことを話してくれる女の子もいたのでそれはすごく嬉しかったです。

 私がカンボジアを訪れた理由は自分の目でアジアの現状を見ることであったのは最初に述べました。もちろん、このスタディーツアーを通していろんなことが見えたけれど、一番見えてきたのは自分の中の日本人としての気質でした。例えばみんなで市場に行った時の物欲や、シェムリアップでの食事の時残したくないと思っているにもかかわらず食べきれずにほとんど毎回ご飯を残してしまって、自分の中でご飯を残すことが当たり前になっていること。またシェムリアップからポイペットに戻る時、私達のバスが故障してピックアップに乗り換えなくてはならなくなったのですが、私は助手席の後ろに座ることができ、車内から故障について通訳していると、あるアメリカ人っぽい男の人に急に「てかなんでお前は後ろに乗らへんねん。」と言われました。私はものすごく嫌な気持ちになったのですが、その後ずっと考えていると自分の中に自分さえよければいいという気持ちがあったことに気がつきました。私は以前から自分さえよければいいという考え方が先進国にあるからこそ、そのしわ寄せがカンボジアなどの国々にいっていると思っていたので、その嫌だと思っている考え方をふとした時に自分もしてしまっていることが本当に嫌でした。でも、このように嫌な気持ちになったりもしたけれど、カンボジアという国やクメール人、(そして意外にも)欧米人からも自分が今まで気づかなかった部分を気づかせてもらったことは本当に有難いと思いました。

 ここで最後にハワイの話をしたいと思います。私は去年の10月から半年間ハワイに語学留学していました。ハワイには多くの日本人が訪れるワイキキとは全く違うマカハという所があり、マカハを含むワイアナエ地区は人口の50%以上がハワイ人やハワイ人の混血の人が暮らしている地域で貧困やホームレス問題が存在します。しかし、海や山などの自然がとてもきれいで時間もゆったりと流れていて私の一番好きな土地でもあります。そして私はカンボジアに行った時ここはハワイと似ているなぁと感じました。夜に鳴くヤモリや朝のニワトリの鳴き声、バナナっぽい木、ゆったりとした時間、C.C.HOMEのキャンプ場からの景色はもし山があればまさにマカハだなぁと思ったし、すごく安らぎました。またシェムリアップに行った時に見た欧米人が集まるバーやカフェの並んでいる通りはハワイのワイキキを連想させ、その時私はゆったりとできるオルセイ(マカハ)に早く帰りたいなぁと思いました。

 またハワイで私はハグすること(抱きしめる)を学びました。ハグは余計な言葉を必要としないで、体全体を使って相手のことを大切に思っていると伝えられる方法です。日本人にはハグの習慣はないので私も最初はすごく戸惑ったのですが、ハワイでは親子はもちろん、友達にもハグをしていて私はハグってすごくいいなぁと思うようになり、日本に帰ってから家族や友達をハグするようになりました。そして今回カンボジアに行くにあたって私は特に親を亡くしているヘインやスレイリアップをたくさんハグしようと思っていて、実際2人をいっぱいハグしました。ハグをしている時の2人の表情はなんとも言えない穏やかなものになるので、本当にかわいいなぁと思ったし、私がC.C.HOMEに滞在する少しの期間でもハグされることによって2人が安心感に包まれるように、と思いました。そして実際にハグし始めるとすごくなついてくれたのでとても嬉しかったです。

 また、私と一緒にカンボジアに来たスタディーツアーのメンバーが帰る前日、円形集会場で私のフラ・ショーを開いてもらい、そのあとみんなでフラを踊りました。(私はフラを教えるのは初めてだったのでめっちゃテンパッてしまいました…)そしてフラを踊り終えると次はクメールの踊りが始まり、見よう見真似だったけど疲れ果てるまでみんなで踊ったので本当に楽しかったです。

 私にとってハワイは思い入れのある土地であり、そのハワイに少し似ているカンボジアは今回のスタディーツアーですごく特別な国になりました。しかしある意味、カンボジアで見たもの、触れたものはハワイのそれよりも強烈なインパクトがあり、日本に帰ってきた今でも実はまだ少し混乱している状態です。というのも、カンボジアに実際に行ってそこで出会った人たちに何かできることをしたいと改めて思ったのですが、どんなふうに接していったらいいのかわかりません。ただ、すぐに答えがでる問題ではないと思うのでこれからゆっくりと自分の中で整理していきたいと思っています。