編集後記


 渡部先生にお供して初めて東南アジアを旅したのは、1987年のことだった。当時、先生はまだ京都大学に在職されておられたが、放送大学のテレビ番組「アジアの社会−稲からみたアジア」の制作のため、タイで講義を現地収録されることになり、そのロケにお供したのだった。私は、アメリカ留学から帰ったばかりの駆け出しの助手で、アジアのフィールドワークは初めての上、お供をする先生があの世界的に著名な渡部先生だったので、緊張して失敗ばかりだった。
 しかし、そんな私だったが、ビデオ収録のためにフィールドに立って講義をされる先生の深い学識や研究者としての凛とした精神に直に触れることができたことは、生涯忘れがたい経験となった。
 タイでのフィールドワークを終わってバンコクのホテルに到着したとき、重責を果たしてホッとした反面、このままいつまでも先生とフィールドを旅し続けていたいと帰国するのが恨めしかったことを今も鮮明に覚えている。
 その後、私もアジアや太平洋でのフィールド調査に関わることが多かったが、現地で問題にぶつかったとき、いつも思うのは、「こんなとき、渡部先生ならどうされるだろうか」ということだった。こうしろ、ああしろというようなことは一切おっしゃらない先生だが、先生の何気ない言葉のひとつひとつが私にとって掛け替えのないテキストだった。
 さて、放送大学を退官された後、先生が年に1回程度アジアの農耕文化を訪ねる研究ツアーを主催されるという話をうかがったとき、こんなに嬉しいことはなかった。企画は現実のものとなり、ミャンマー、インドネシアへと調査旅行は立て続けに実現した。先生は、あいからわず矍鑠と団員を統率され、私もすっかり駆け出しの助手の気分に戻ってウキウキである。さらに、この旅を通して、多くの素敵な友人もできた。この上は、どうぞ神様、いつまでもこの旅が続きますようにと祈るだけである。
 さて、研究旅行の後、その成果をもとにして、参加者たちは研究雑誌やマスメディアなどに論文やエッセーを発表した。その数は、意外に多く、内容も興味深いものだった。それらに書き下ろしの論文を加え、雑誌の形で出版することはできないものかと考えていたところ、渡部先生からのご指導と財政的なご援助を得ることができ、今回、この『アジアを歩く』の出版に漕ぎ着けることができた。
 『アジアを歩く』は、今後、年1回程度の発行を続けていきたいと考えている。さらに、たんに雑誌として出版するだけでなく、インターネット時代の新しい試みとして、雑誌の内容をそのままホームページに掲載し、紙面では白黒でしか見ることのできない貴重な写真を美しいカラー写真として公開することにした。いわばメディアミックス型の雑誌として、広くご愛読いただければ幸いである。
(山中速人)