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毎日新聞  1999年8月14日朝刊

オピニオン−  地域・論争・対話

「論」

『-平和を考える-もう一つの旅』  

 

敗戦から54年。日本の経済成長は、そのマネーを背景に、今、年間1500万人以上の海外旅行者を生み出すまでになった。しかし、日本人は本当に世界の人々を、そして、考えの相違を知るようになれたのだろうか?終戦記念日を前に、「オルタナティブ・ツアー」(もう一つの旅)を企画し続ける大阪の旅行会社社長、山田和生さん(45)に、旅から見える〃平和論〃を聞いた。  【特別報道部副部長 氷置恒夫】


旅行会社社長 山田和生

やまだ・かずお京都市出身。関西学院大卒。大阪の診療所で労働者の健康診断推進に携わった後、1981年に旅行代理店「マイチケット」を設立。震災復興への提言などを行う神戸復興塾のメンバーでもある。


--オルタナティブ・ツアーって何ですか。

◆日本でその言葉が最初にイメージされたのは、タイの国際会議で日本人の買春旅行が問題になった時でしょう。売春婦の多くはスラムから来ている。スラムは東北部の貧しい農村から流入した人々で形成されでいる。それなら、スラムや農村を実際に訪れ、人々と話をしてはと。そうした旅をオルタナティブ・ツアーと呼ぶことを知ったのです。


--l985年に日本初の中米・ニカラグアヘのツアーを企画しましたね。

◆当時は内戦下で、「戦争見物」とか書かれたこともありました。しかし、戦闘というのは前線でやる。その後ろには、市場があり、家があり、実際の暮らしがあるんです。行ってみると、新しい社会をつくろうということで燃えている人々に出会う。国をメディアの映像だけでイメージするのは良くない。ケニアの空港に降りたらライオンがいるわけじゃないでしょう?


--日本人旅行客が多いハワイでも、もう一つの旅を行っているとか

◆89年に、ハワイ大学にいた友人を通じて農園を営むジジさんという人に出会い、日本の資本によるリゾート開発がいかに先住民を経済的窮地に追いやっているかを知ったのがきっかけです。交流が発展して、「真珠湾(攻撃)50年」の年に、国家と国家の50年ではなく、マイノリティーから見た50年を話そうと「癒し、和解」をテーマにした集会を企画しました。そこで真珠湾に近いこの農園内にピースセンターをつくろうという話になったのです。


--交流の拠点ですね。

◆そうです。建設のため日本で「タロイモ基金」というのをつくって資金を集め、ヒロシマ原爆50年の95年8月6日にオープンしました。原爆関係の常設展をしたいと考え、今は、ヒロシマの惨状を伝えるスライドをCD-ROMにして、贈ったコンビュータ-でいつでも見られるようになっています。この8月25日には、30人ほどでカウアイ島に行きます。向こうのお寺が開山100周年を迎え、それを機に「宗教は先住民に何をしてきたか?」というテーマで、東京経済大が日系移民を調査する。そのお手伝いです。


--カンボジア関係でも基金があるそうですね。

◆「桑の木基金」です。内戦で途絶えたクメール時代の織物を復興させるため、森本喜久男さんという京都で手描き友禅をしていた人が、バタンバンで養蚕復活のために頑張っている。それを応援する基金です。あそこは、地雷の被害を受けた人が多い。桑を植え、機を織り、伝統工芸を復活させて日本などに売るということで、そうした人に仕事と収入を与えることができます。


--憲法9条の英訳をブリントしたパスポートカバー(500円)を作ったのはなぜですか。

◆韓国に太鼓に合わせて歴史的な苦しみや挫折を歌い上げるパンソリという伝統芸能があります。それを本場へ聴きにいく旅を企画し、阪神大震災の年には、パンソリを神戸の長田へ呼ぴました。そうした中で、ホームステイなど韓国との交流が濃くなったのですが、パスポートの菊の紋章はどうも……。消すことは出来ないし、それならせめてカバーに何かを、となど考えてのことです。ハングルや中国語版を近く作ります。ジュネーブ条約の抄録もセットにしています。内容は、ペルーの日本大使公邸人質事件で日本にも知られるようになった国際人道法。「あなたが人質になった時、非戦闘員であることを示せば、保護され退去する権利がある」ということを知ってほしいとの気持ちからです。


--こうした旅から見える世界と平和について、どんな思いを持っていますか。

◆戦後長い間、日本の軍隊が外国へ出て行き、直接、人を殺したことはない。これは、確かに誇るべきことです。しかし、例えば日本で月30万円で暮らしでいる人が、外国で3000円で暮らしている人と出会う。100倍の経済落差ですが、これはもう、出会い自体が暴力的です。僕らは100倍の方にいるから「平和」と言えているんですね。でも、ちゃんとつきあいたいじゃないですか。それは、資本の力や軍事力を背景にしたものではないでしょう。そういうところで、ゆったりとしたつながりを持っている人たちは実は、いっぱいいるんです。そうした人たちのネットワークづくりのお手伝いをしたいと、僕は思っています。


平和は「知る」ことから

山田さんの〃平和論〃は、つきつめれば「知る」ということに尽きる。こんな話をしてくれた。ロシア兵は怖いというイメージがあったが、実際にホームステイの下見に行き、その家の子どもが描いた「お父さんの絵」を見せてくれたら軍人で、会った印象は全く違った。それ以来「ロシア兵は怖い」と言われると、「いや、そうじやないよ」と説明できるというのだ。じゃあ、誰が「ロシア兵は怖い」と言い姶めたのか ……。これは、だれが米英を「鬼畜」と言い姶めたのかという問題につながる。そうではなかったことを知るために、どれだけの血が流れたろう。情報や報道の仕事に携わる一人として、その責任の重さを痛感させられる話だった。  【氷置】


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