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【連載】「カンボジア漂流記」第8回 斎藤雅之
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私は濡れたり汚れたりするのを好まない人間である。日本にいるときも超インドア派で鳴らしてきた男である。だから常に色は白かった。北海道という環境のせいなのかもしれないが。こっちに来てからというもの私の皮膚の色は日に日に黒さを増し、今ではカンボジア人にカンボジア人と間違われ、タイ人にタイ人と間違われるありさま。来る日本人は勝手なもんで、間違われるのは名誉なことだよと言う。そりゃそうかもしれないけどカンボジア人に間違われた際にクメール語を話せないのは結構かっこ悪い。だからこそ勉強しているんだけどね。
さて、そんな汚れ嫌いな私が頭のてっぺんから足のつま先まで泥まみれになるというとんでもない思いをしたのは3月の中旬だった。ポイッペトからとてつもない悪路を走ること約2時間、ダムナックツマイという村がある。シャレにならないくらいの悪路である。日本の某テレビ局がやっていた道作りをこういうでやってくれたらなあとしみじみ思ったものだ。この村の学校をCCHOMEで建設し、開校式を行うべく日本
から支援者の方たちが大勢やってきていた。シェムリアップからパジェロを3台手配し、我らがハイラックスを加えた4台で向かうことになった。パワーのある車だから何とかなるかも、とそのときは思っていたのだが・・・。不安になるには訳がある。この村の学校建設に際して井戸掘り隊長の高橋さんも現地に行って作業を行っていたのだが、あまりの道の悪さにハイラックスは前輪のシャフトがへし折れ、トラックは完全にエンジン故障、バイクは壊れ、と乗っていった乗り物全てが壊れたために彼はそのまましばらく村に半ば閉じ込められることとなってしまったのである。そんな場所にこんな大勢で向かって何もなければいいけどな〜と思うのは当然のことであろう。
ところが、というかやはり起きた。あと7キロくらいのところまでさしかかった頃、地面がぬかるんできて、ついには全台がずぼずぼはまってしまうことに・・・。こうなると大変である。はまる度に皆で外に出て車を押す。車は泥水を跳ね上げながらなんとか脱出する。これが延々と繰り返され、最後には10メートル進むとはまる程に道は悪くなっていった。そしてまたずぼっ。このはまりによって村までいくことは断念し、この山奥でセレモニーだけやって帰ることになってしまった。写真を撮り終えて、いざ車の救出へ。かなり深くはまってしまっていたためになかなか動かない。そのときは現地スタッフのパウとトル、そして高橋さんの4人で押していたのだが、私は一番真中にいた。力を込めて気張った際、隣で押していたトルに足を踏まれて私の足は泥水にはまって自由がきかなくなってしまった。もうお分かりだろう。そんなときに車は前進を始め、皆はササッと避難したが私は動けずにそのまま。そして車の跳ね上げた泥をモロにかぶってし
まった。
その時間5秒。私は無抵抗のまま泥をかぶり続けた。そしてやっと足を抜いた頃には完全な泥人形と化していた。皆爆笑!もう怒る気が失せるほどの汚れっぷりであった。張本人のトルが腹を抱えて笑いながら<マサ、かっこいいな〜>と言っていたのにはさすがに頭にきたが。帰りの車の中でもシートをなるべく汚さないように気を使って一番端っこにポツンと小さくなって座っていた。かぶった泥は直射日光によってすぐに乾き、映画<ザ・フライ>に出てくる蝿男のようにボロボロと剥がれ落ち、一層気持ち悪くなった。もう当分はあの村に行くことはないだろう。帰り道に車内でフランスパンをかじりながらそう思う私がいた・・・。
カンボジア漂流記を読んでのご感想、ご意見、ご質問等がございましたら私斎藤雅之のメールアドレスまで。ポイペットにはパソコンが無いため多少返事が遅れることがあることと思いますがどうぞこちらまで。masayuki929@hotmail.com
2月より「カンボジアこどもの家」にスタッフとして赴任した札幌出身の斎藤君からの報告でした。【編集部】