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【連載】「カンボジア漂流記」第21回 斎藤雅之
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今日本では夏真っ盛りであろうがここカンボジアは雨期真っ盛り。これでもか!と
いうくらい降っているが、お父さんに言わせれば本来ならこんなもんじゃないらしい。
やはり異常気象が影響しているんだろうか?最近は雨が少なくなったと言っていた。
ただ雨期は雨季。雨が降る事によって気温がぐんぐん下がり、最近は4月頃から比べ
たら信じられないくらい涼しくなった。というか寒い。夜は上に毛布をかけないと眠
れない。この急激な温度の変化で私は久しぶりに発熱、3日ほど寝込んでしまった。
またデング熱になったのかと最初は不安だったが、何の事は無いただの風邪だった。
そしてようやく元気になった日の朝、お父さんが「ダムナックツマイに行かない
か?」と誘ってきた。かの地には苦い思い出がある。3月の開校式の事だ。(詳しく
はマイチケットのメールイカロスをお読みください。)ここにはとんでもない悪路を
ひた走っていかなければ着くことができない。毎月月末木曜日に先生の給料日があ
り、全ての学校から先生がツールボンローの宿舎に給料を貰いに来る。だがこのダム
ナックツマイだけは滅多に決められた日には来ない。と言うより来れないと言った方
が正しいか。我々も他の学校にはしょっちゅう行って授業がちゃんと行われているか
をチェックしているが、ここには2月に学校と井戸を造って以来辿り着いた奴はいな
い。今回はその視察の意味合いもある。いずれにせよ私にとっては3月のリベンジの
チャンス、お父さんには「行く行く!」と即答した。
私と日本人のTさんが赤いカブに、お父さんとスーンが黒い150CCのバイクに
乗っていざ出発。ポイペットからダムナックツマイまでは約50キロだが、雨期で道
がボコボコになっている事が予想されるので相当の時間を要すると思っていた。カン
ボジアのメイン道路である国道5号線から逸れ、ここからが地獄の始まりだ!と気を
引き締めて運転していくと・・・。予想に反して道は実にきれいだった。3月に来た
ときよりはるかにマシだ。これには驚いた。どうも最近は雨が降っていないらしい。
水溜りすらほとんど見かける事も無い。おかけで実にスムーズに走れた。
そして山道へ・・・。3月はここで車が身動きを取れなくなってしまって引き返し
たが、難なくここも通過することができた。どんどん山奥に入っていく。ここらには
整地された道など一切存在しない。あるのは村人が同じところを歩き続けた結果そこ
だけ草が生えなくなり、人間の歩くコースとなったボコボコ道だけだ。それを逸れる
と無数の地雷が存在する危険地帯でもある。未体験ゾーンを進んでいくとさすがに道
は悪化し始め、水溜りばかりが目に付くようになった。
慎重に慎重に運転していく私・・・。しかしあと1、5キロのところで水溜りをよ
けた際にタイヤが滑って、岩の様に硬くなった土に乗り上げて転倒してしまった。ス
ーンと一緒にバイクを点検すると・・・。エンジンオイルのタンクの底のネジが吹っ
飛び、オイルが全部流出してしまっていた。おかげでバイクはうんともすんとも言わ
なくなり、残りをスーンと押していく羽目になった。まあ運転していたのは私なので
仕方ない事だが・・・。
歩き続けて20分、あと少しというところでスーンが「あっ!!!」と叫んだ。ス
ーンの見る方向を見て私は発狂しそうになった。2メートルはあるであろうコブラが
鎌首上げているではないか!!!私がギャーギャー喚いているのを見てスーンの奴は
すっかり喜んでしまい、挙句の果てには「捕獲して売ろうぜ。」などととんでもない
事を言い出した。私が蛇嫌いなのを知ってて言いやがる。結局回り道をして進む事に
なった。これですっかりやる気を失ってしまった私は、バイクはスーンにまかせて放
心状態でトボトボ歩いていった・・・。
そしてやっとダムナックツマイに辿り着いた。ここはほんとに緑のど真ん中にある
村で、ポイペットの喧騒に満ちた雰囲気とは全く違った。村の中には雑貨屋も存在し
ている様子は無く、ほとんどを自給自足の生活で過ごしているようだった。ただカン
ボジアのこども達はどこにいる子も変わらない。いつも笑顔で楽しそうに遊んでいる。
恐らくこんなところにはCCHOMEくらいしかこないのであろう、私たち外人を見
て興味をもって大勢寄ってきた。
そして校舎とご対面。実に綺麗な校舎だった。教室は2つしか無いが、外見を見れ
ば大事に使われている事がわかる。2月に高橋さんやスタッフが泊まりこんで頑張っ
て造った甲斐があるというものだ。我々が着いてすぐに昼休みになってしまったので
こども達は家に帰っていったが、授業はちゃんと行われているようだったので一安心。
ここには何も無い。電気も水も店もそして病院も当然無い。お父さんに連れられて
一人の病気の男の子の家を訪ねた。自分で食事を食べる元気も無い様で、お母さんが
ミカンを食べさせていた。ここで重い病気にかかれば待っているのは確実な死だけだ。
重くなくても簡単に死んでしまう。金が無いから病院には行けないし、一番近い病院
に行こうと思ったら悪路をひたすら走っていかなければならない。交通費もかかるし
無事に辿り着けるかすらわからない。おまけに近いと言ったってスバイ(シソポン)
まで行くのは決して近いとは言わない。そんな陸の孤島のような村で村人は楽しく、
そして懸命に生きている。とても考えさせられるものがあった。
昼飯を食べているとなにやら雲行きが怪しくなってきた。そしてザーッと降りだし
た。なぜ私が来る日に限って雨が降る?今までずっと降っていなかったはずなのにな
ぜ?村人に瞬間接着剤でバイクのオイルタンクの故障を応急処置で直してもらい、小
雨になったとみて早々に退却することにした。雨自体はそれほどたいしたことはなか
った。しかしここらの道を沼に変えるにはそれだけで充分だったようだ。来るときと
は別の道と化していた。何度転んだかわからない。竹やぶに突っ込んでスーンとTさ
んは負傷してしまった。私もスーンをケツに乗せて走り出した途端に木の切り株に衝
突し、思い切り吹っ飛び足を負傷。お父さんは黒い150CCバイクを懸命に操ろう
としていたがすぐに滑って転倒、起き上がって少し走って転倒を繰り返していた。そ
の都度絶叫しながらひっくり返っている様子は少し面白かった。2人乗りはあまりに
も危険なので山道を脱出するまでは2人がバイクで2人が徒歩で移動した。
そしてクソ悪路を2時間歩き続けてようやく山道を脱出する事ができた。瞬間接着
剤の効果はここまでで、またオイルを入れ、応急処置を施していざポイペットへ。そ
れからも大変だった。国道5号線に出るまでの道も沼になっていて何度となく転倒し
た。5号線を逸れて、お父さんが「ここが近道だ。」と言った沼道を走り、あと3キ
ロというところで今度はガソリンが無くなりまたしても押していくことにもなった。
ともあれCCHOMEの宿舎にはなんとか辿り着く事ができた。着いて身体も洗わず
にまずはビールを飲んだ。疲労しきった身体に染み込んでいくのを感じた。なにはと
もあれ生きて帰って来れてよかった・・・。リベンジは一応成功した、と自分では思
っている。ハードな一日だった・・・。
私斎藤雅之個人への感想、意見、質問、またはカンボジア、CCHOMEへの質問は
masayuki929@hotmail.comまでどうぞ。
2月より「カンボジアこどもの家」にスタッフとして赴任した札幌出身の斎藤君から
の報告でした。【編集部】