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 【連載】「カンボジア漂流記」第22回 最終回 斎藤雅之
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■この通信が不要の方は、お手数ですがメールでご連絡ください。送信を中止します。
 私がここカンボジアとタイの国境の町ポイペットに来て早いもので半年が経過した。
この半年で色々なことを勉強、体験した。最初は暑さに慣れることから始まった。真
冬の北海道から、乾期で殺人的な暑さを誇るカンボジアに来て過ごすのは容易なこと
ではなかった。ペアさんが作ってくれる美味しい料理もあまり口にすることができ
ず、どんどん痩せていった。
 カンボジア人スタッフは私に言う。「マサは2月は白くて丸かった。今は黒くて痩
せてしまった。その痩せ方は少しおかしい。何か病気にかかっているんじゃないか?」
と。今は何もないが確かに病気にもなった。まさか人生初の入院が外国とは思っても
いなかった。デング熱とA型肝炎にかかってバンコクの病院に半強制的に入院させら
れた。10日間ほどだったがあれは辛かった。スリにもやられたし強盗にもやられた
しバイクタクシーに乗ってて事故って痛い思いをしたこともあった。全て今考えれば
笑い話みたいなものである。
 異国の地に来て言葉の勉強の重要性というものも学んだ。英語なら多少は通じるだ
ろうと思っていたが甘かった。ここではクメール語しか通用しない。同じ人間なのに
こんなにもコミュニケーションが取れないとは・・・。それでも最初のころは暑さに
負けてほとんど勉強しなかった。まあなんとかなるだろうと。ところが長くいるとそ
うもいかない。日本からもお客さんが大勢来る。当然現地の人間との橋渡しをしてあ
げなくてはならない。そう考え出してからは自分なりに勉強した。集中力が乏しいた
めに覚えるのも異常に遅かったと思う。それでも今では簡単なコミュニケーションや
会話はできるようになった。話す言語の違う人間と会話できることがこんなに楽しい
ものとは思わなかった。これも現地に来て、生活して初めてわかったことだ。
 そしてなによりもボランティアというものに触れることができたのは大きかった。
私はここに来る際にオカサンに言い放った。「私はボランティアは嫌いだし興味もな
い。こんなことをやっている奴は所詮は偽善者にすぎない。」と。日本ではボランテ
ィア活動に参加した事など一度も無いし、やりたいとも思わなかった。自分が幸せ一
杯になったときに初めて相手のことに目を向けるようになる、要は余裕のある人間が
やるものだと思っていた。
 半年間でこの考えは少し変わった。こんな無法地帯のような土地ではやはり人のた
めに動いてあげられる人が絶対に必要であると思うようになった。しかしカンボジア
に入ってくるNGOには嫌悪感を抱かずにはいられない。彼らの中でそこに住む人の
事を本気で考えている人間は少ないのではないだろうか。事実あるNGOには「お前
はセールスマンか?」と疑いたくなるような奴もいた。毎日の食べるものに困ってい
る村人に多額の借金を負わせて設備投資をしようなどと考えていたからだ。また日本
の援助グループにも疑問を感じてしまう。なぜ自分達の名前を、援助して造ったもの
に残そうとするのか?ご丁寧にプレートを日本から持参してきた人もいた。それは別
に個人の勝手であるからこれ以上批判はしないが、そういった行為が私や日本にいる
ボランティアを嫌う人達に偽善的行為と取られてもそれは仕方の無い事なのではない
だろうか。ボランティアは他人に評価されてやるものではないのだから。
 オカサンが「ボランティアをするのであればまずは現地に住み、現地の人と同じ生
活をし、彼らと友達になることから始めなければ本当に必要なものは見えてこない。」
といつも言っている。これは私も強く賛同している。その通りだと思う。外国からひ
ょっこりやってきた金持ちがあれこれ作ってやるよと提案したら、現地の人間が要ら
ないと言うはずが無い。怒らせて援助されないより、少しでも自分達がいい方向に向
かうのであれば・・・と絶対に承諾するはずだ。でもそれが本当に村人のためになっ
ているのか?
 多くのNGOがポイペットの中だけでも何個もの学校の校舎を建設した。「ではこ
の校舎で勉強を教えて下さい。」と言ってNGOは去っていく。学校の先生は国から
給料を貰っているわけではない。まれにいるが少数にすぎない。すると先生は子ども
からお金を取るようになる。そのお金は日本人からみればあまりにも安い金額だ。だ
が恐らく日本では何も買えないであろうお金を、ここの人たちは払えない。給料が入
らないとなると先生もいなくなる。そして学校は閉鎖状態になる・・・。
 こんな悪循環がカンボジアのいたるところで存在する。これは役にたっているとは
言わないだろう。オカサンは友達となった村人と話し、「一番必要なのは先生の給料
である。先生が生活に困らないくらいの給料を出してもらえないか?」と要望を受け、
先生の給料を出してあげると同時に、他のどんなNGOも入らないような村にも校舎
を建て、子どもたちに教育を受ける機会を与えてあげている。全ては村人の自発的な
要望からくるものであり、オカサンから提案していくことはまず無い。信頼関係があ
ってこそより効果的なボランティア活動ができるのだといつも熱く語っているオカサ
ンの考えに同調できるようになっただけでも私にとっては大きな進歩である。
 カンボジアという国についても色々な事実を知り、とても多くのことを考えさせら
れた。この国にはもっと多くの教育施設が必要だ。文字がわからないから地雷の看板
を読めずに地雷原で事故に遭う子どももいる。自分の国の文字がわからないというの
はちょっと想像つかないかもしれないが、大人になっても文字がわからないという有
様だ。また病院などの医療施設も全く数が足りていない。病院も学校の先生と同じで
患者がお金を払えないから診察をしない。大きい病院に行っても設備が少なすぎて廊
下に寝かせられてたりもする。プノンペンにある大病院などは金持ちからより多くの
お金を取ろうと、とんでもない診察をしたりもしている。衛生面に関する教育が成さ
れていないから子どもは簡単に病気になってしまうし、挙句死んでしまう子も大勢い
る。エイズが蔓延しているのもこれに該当するのではないか。ただエイズに関しては
後ろにもっと大きな人身売買といった大問題も存在しているのだが・・・。
 この国はまだ自力で動いていくことのできない、誕生したての赤ん坊のようなもの
だと思う。もし今この国のトップにいる腐った連中がもっと国のために政治を行って
くれたらあっという間に成長する可能性だってあるはずだ。だがまだまだ時間がかか
るであろう。
 カンボジア人は皆温かい。いつも笑顔が絶える事は無い。たとえその日の暮らしが
大変でも本当に明るく生きている。今はそれだけでいいと思う。近代化が日本人のよ
うに孤立無援の生活を生むようになるならそんな文化は今は不必要だと思う。隣国は
近代化の波でどんどん豊かな生活をおくるようになってきている。いずれはカンボジ
アももっと豊かな国になるだろう。そのときには今のカンボジア人でいてほしい。笑
顔の絶えないカンボジア人で。
 私がここで体験して、そして学んだ事は今後にそう簡単に生かせるものではないと
思う。日本に帰ったときはボランティア活動に参加するのか?と問われれば即答はで
きない。むしろあの自由な環境だからボランティアという言葉を受け入れられるよう
になっていただけなのかもしれない。それはまだわからない。
 そういえばここに来たお客さんが面白い表現をしていた。「私にとってのボランテ
ィアは現地の人との共通項探しみたいなものだ。」私も同じだと思う。友達になって
一緒に生活して一緒に作業して・・・。私にはまだそれで充分だと思ってるし、これ
からツアーで来る人たちもそんな感じでいいと思う。
 ここは時が止まっているような世界だ。だから考える時間も腐るほどある。私も自
分には何ができるかを腹一杯になるまで考えた。で、導き出した答えは、これは私の
尊敬する人が言った言葉、「何も足さない、何も引かない。」そして私の持論の「無
理をしない。」この3つがポイペットでの私のボランティア活動の全てだ。生きると
いう事を実感した半年間だったと思う。      
   
最後に・・・
私がしたような体験を皆さんも現地ポイペットで体験してみてはいかがですか?
きっといい思い出になると思いますよ。
それではソーム オークン チュラウン(どうもありがとうございました。)

                               齋藤 雅之 

2月より「カンボジアこどもの家」にスタッフとして赴任した札幌出身の斎藤君から
の報告もこれで最終回です。斎藤君は9月7日に帰国します。【編集部】