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【連載】「カンボジア漂流記」特別編 その2 斎藤雅之
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 5月の中旬、私は病気で入院した。病名は「デング熱」と「A型肝炎」であった。
共に日本ではあまり聞かない名前ではあるが、南国に慣れていなかった私の体を容赦
なくいじめてくれた。10日程の入院ではあったが外国の病院にぶち込まれるほど心
細いものはなかった。カンボジアではこの二つはもちろんのこと、沢山の病気が存在
する。「コレラ」「マラリア」「エイズ」・・・。劣悪な環境に輪をかけるように医
療面の不備も手伝って、ものすごい勢いで蔓延してしまう。そして我々外国人ならば
助かるような病気で命を落としてしまう・・・。
 4月末、一人の女の子が病気で亡くなった。女の子といっても二十歳ぐらいだった
と思う。その子はCCHOMEの学校で勉強を教えている先生の娘さんだった。私が
初めて彼女を見たとき、彼女はまだそれなりに元気だった。昔から知っているオカサ
ンの話ではろうあ者だがとても笑顔のかわいい子だったらしい。ただ、一目見ただけ
でなにか患うっているなとはわかった。痩せ方が異常だったし、手の皮膚を押すと押
した箇所がくぼんだままになっているのである。
 その後も悪くなっていく彼女の様態をみかねてオカサンはモンコルボレーという車
で2時間くらい行ったところにある病院に連れて行った。そこでは点滴などはされた
らしいが病名はわからなかった。入院しているのに悪くなっていく彼女を連れ、オカ
サンは首都プノンペンの病院に行った。そこはNGO関係者や大使館関係者が使うよ
うな立派な病院であった。なにしろ入院費が馬鹿高い。その分設備は整っているはず
ではあったが・・・。結果は前の病院と変わらなかった。入院したところで良くなら
ない様態、まったく判明しない病名、そして高額な入院費をふっかけてくる病院側・
・・。結局具合の悪い彼女を乗せてまた10時間の道のりをポイペットまで引き上げ
て来ざるを得なかった。
 帰ってきてすぐの彼女に私は会った。2月に初めて会ったときよりも明らかに悪化
していた。上半身が異常に痩せ衰え、下腹部が異常に硬くなっているのである。オカ
サンは最後の手段で国境を越えてタイ側アランヤプラテートにある病院に連れて行っ
た。当然パスポートなど無いからどうするんだろうと思っていたが、そこはお金が全
ての国らしく裏から通してくれたらしい。こうしてタイの病院に入院させることはで
きたがそのときには手遅れだった。入院してまもなく彼女は亡くなってしまった。自
分の国内で全く相手にされず、やっと辿り着いた初めての異国の地で亡くなってしま
うとは・・・なんともやりきれない。私が入院したのは彼女が亡くなった後だったか
ら余計に彼女がかわいそうだった。すぐにバンコクの病院に行くことができたらきっ
と助かったと思う。それができないばかりに・・・。
 カンボジアという国には沢山の問題点がある。そんな中でも人命に影響を与える医
療面には本当に力を入れてもらいたい。彼女のようなカンボジア人が星の数ほどいる
のだから・・・。