エッセイ

ボールペンとバガンの夕日

中村均司


 アーナンダ寺院に入るとすぐに、数人の子供たちが近寄ってきて、「あしもと気をつけて」と流ちょうな日本語で話しかけてきた。そのうちの一人サントアン君が手作りの蝶々のバッジを差し出した。こちらが当惑し、受け取りを断ると、「ノープロブレム、ノープロブレム」と言いながら受け取りを盛んに促す。それで一つ取って胸に付けると、今度は兄弟や家族の分も持っていってほしいと気前よくたくさんバッジを出してくる。心から受け取ってほしいという彼の気持ちが伝わってくる。そこでさらに二つもらうことにした。
 ひと通り回り、寺院をでる頃になって、子供たちが「ボールペン、ボールペン」と言い出した。どうもボールペンをほしがっているらしい。断っておくが、彼らの一連の行動は押しつけがましさはなく、こどもらしい一途さとあどけなさの中にあくまでも控えめで礼儀正しい。蝶々のバッジをくれるときなどは、施すことの美徳すら感じられた。こんな訳で、私はボールペンの余分は持っていなかったが、何かを渡さずにはいられない気持ちになり、持ち合わせの蛍光マーカーをサントアン君の手に握らせたのだった。このほか、ライターをほしがる子、口紅をほしがる女の子もいたそうであるが、ボールペンが圧倒的に多い。
 このあと、私たちはタビィニュ寺院、ダマヤンヂー寺院を回り、この日最後の見物先であるシュエサンドーパゴダに行くと、サントアン君が友人とともに先回りして待っているではないか。パゴダの南側にある崩れかけたレンガ作りの寺院(シィンピンターリャウン)には寝釈迦があったが、中は暗い。サントアン君が日本語で「あしもと気を付けて、あたま気を付けて」と言いながら彼の友人(懐中電灯で照らしてくれありがたかった。)とともに案内してくれた。私たちはシュエサンドーパゴダのテラスに登り、遺跡のかなたに沈む夕日を見るつもりであった。サントアン君たちもテラスに腰掛けながら、学校へは朝の7時半に行くこと、午前中で学校が終わるので、午後はこうして過ごしていることなどを話してくれた。「昨日は夕日がきれいだったが、今日は曇っていてだめだ。」と残念そうに言いながら、ずっと私たちに付き合ってくれた。すっかり日も暮れて、私たちがバスに乗り込むのをすぐ近くまで見送ってくれた子供たち。サントアン君たちと別れるのが惜しく、まるで旧知の友と別れるような気持ちになった。バガンの夕暮れが旅先の感傷を駆り立てたのだろうか。いや、それだけではなく、きっとサントアン君をはじめとした人なつこく素直な子供たちの振舞いに心動かされるものがあったのだと思う。
 昭和46年秋、「青年の船」でビルマを訪れた日本の青年たちが、ビルマの青年たちから受けた心のこもった歓待に感動し、帰国して、感謝の気持ちを現すため、ビルマの学童に鉛筆を贈る運動を全国的に展開し、昭和48年に百万本の鉛筆を贈り届けた という話を本で読んだことがある。また、最近の新聞に、ある大学の名誉教授がミャンマー訪問の折にはいつも1万本のボールペンをプレゼントしているという記事があった。日本製のボールペンは品質がよく、ミャンマーでは人気があるという話も現地のガイドさんから聞いた。
 ミャンマーへ、中でもバガンやニャウンウーを訪れる人は、この国の子供たちへのプレゼントとしてボールペンをたくさん持っていってほしいと思う。旅先できっと子供たちの喜ぶ笑顔が見られるはずである。

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