ミャンマーの食を訪ねて

アジアは甘いか塩っぱいか

大坂佳保里



はじめに
 1995年11月、農耕文化振興会(代表:渡部忠世京都大学名誉教授)が企画したミャンマ−の農耕文化を訪ねる稲作農村調査に参加する機会を得た。現地は乾季の始まりの頃である。参加メンバ−は、渡部先生に師事した方を中心に、大学や研究所の研究者、古代稲研究会の会員と多彩な顔ぶれであった。
 フィ−ルドはもちろん、随所で展開された渡部先生の説明は、農耕文化に限定されることなく多岐にわたり、ノ−トを片時も離せない日が続いた。山中先生の「ビルマの竪琴」に関する調査を始め、参加メンバ−の広範な専門性が遺憾なく発揮され、極めてハイ・レベルな調査旅行であった。この調査に参加することで渡部先生にフィ−ルド・ワ−クは何万冊の本を読んで得た知識にも増して、重要であるということを教えて頂いた。このことは、遅ればせながら私の研究活動のあり方を再考する契機となった。
 3か月後の1996年2月、乾季半ばのミャンマ−のヤンゴン・ミンガラドン空港に、私は1人降り立った。前回、各地のマ−ケットや現地の家を訪れた際に、食に関する多くの疑問が沸いていた。特にシャン州は、中尾佐助らが提唱した照葉樹林文化圏の南方のボ−ダ−・ライン上にあり、照葉樹林文化の特徴を示す様々な事象が観察された。すなわち日本と共通した食に関する諸現象を垣間見ることができたのである。そこで長期の調査が困難な事情から、シャン州の調査に絞ることとした。
 州都のタウンヂ−とインレ−湖畔のニァゥンシュエを足場とし、マ−ケットを中心に食品の調査を始めた。毎日、朝早くから夕方までカメラとビデオをぶら下げて、聞き取り調査にくる風変わりな日本人は、東南アジアの人気番組「おしん」が再放送されていたこともあって、「おしん」と言うアダナを頂戴した。「おしん」のお陰で、ミャンマ−の食を調査していると知るとわざわざお菓子を作ってくれたり、家に招待して家庭料理を食べさせてくれた。町の食堂に食べ方のわからない食材を持ち込み、料理の方法を知ることもできた。その結果、調査は比較的スム−ズに行うことができた。
 1996年8月、雨季を中心に作られる食品を求めて、再びミャンマ−へと向かった。
 ここでは、ミャンマ−の伝統食品について紹介したいと思う。

モチ種とモチとチマキ
 モチ種と聞くとつい「米」を思ってしまうが、アワやキビなど様々な穀類にもモチ種があり、このモチ種は照葉樹林文化が生んだ重要な産物だと考えられている。モチ種独特の粘り気に対する嗜好の高さは照葉樹林文化圏に生活する人々の共通の事象であり、我々日本人にとっても好ましい食感である。現在、オコワ、モチ、チマキなどは日本の食生活で日常的に食べられることは少なく、通過儀礼を始めとする「ハレ」の食品としての位置付けが強くなる傾向が認められる。しかしミャンマ−ではこれらの食品は「ケ」の食品で日常的に食べられており、マ−ケットや屋台で売られている黒米や白米のオコワはすぐに売り切れてしまう。おもしろいことにオコワには必ず擦ったゴマに塩を混ぜたものが添えられている。日本のオコワの代表であるお赤飯にも、ゴマ塩はつきもので何とも不思議な共通性を感じる。
 米のモチは黒米と白米で作られ、黒米を使ったモチは精白度によって黒紫色からお赤飯のような薄い紫色まで様々で、ゴマ、エゴマ、マメを混ぜたモチもある。これらは一般的に日本の揚げモチのように油で揚げて食べられており、私が搗きたての柔らかい餅をそのまま食べると周囲の人々に驚かれてしまった。モチの加工法には2種類あり、ミャンマ−で売られていたモチの大部分は搗きモチであったが、漬け水と共にモチ米を挽いて大鍋で煮た粢モチもあり、これはチマキや菓子類に多く見られた。
 チマキはモチ米や粢の中にバナナやココナッツを入れたり、タピオカ・パ−ルを混ぜたものなど多くの種類があり、軽食や間食として食べられている。
 渡部先生の著書にモチ稲栽培圏についての記述があり、シャン州はこの圏内に含まれている。ミャンマ−の多種多様なモチ米の加工品は,長年にわたってモチ稲栽培を続けてきた中で考え出されたことを示していているものと思われた。

ナレズシ
 ナレズシと聞くと多くの日本人は、琵琶湖のフナズシを思い浮かべるだろう。フナズシは好きな人にとっては天使の食べ物であるが、嫌いな人にとってはまさに悪魔の食べ物で、あの強烈な匂いと味は思い浮かべただけで辟易となる人も少なくない。
 フナなどの淡水魚は水稲栽培と切って切れない関係にあり、その利用方法は多様である。鮮魚のままでも用いられるが、保存性から一般的には干物にしたり塩干物に加工されることが多く、また東南アジアを代表する旨味調味料の魚醤や魚醤油の原材料でもある。
 ナレズシはまさにこの「米と魚」が一体となって生み出した加工食品の傑作であろう。魚の頭と内臓を取り去り塩を振って1日置き、炊いたウルチ米や蒸したモチ米と混ぜて押しをして、3日から1週間室温で放置する。もともと飯は簡単に乳酸発酵をするが、東南アジアの気候は発酵を促進するのに適しており、室温で放置しておいても発酵して程よい酸味が生まれてくる。
 ミャンマ−で見ることができたナレズシの製造方法もほぼ同様だが、原材料による違いが若干認められた。一般的には「ガ・チン」と呼ばれ、ウルチ種の白米を精白して作るナレズシであるが、インレ−湖の周辺で作られているシャン州独特のナレズシは「タミンジン」と呼ばれ、ウルチ種の赤米のナレズシで、パオ族の結婚式などの「ハレ」の時には不可欠な食品である。赤米は余り精白しないで用いるため、赤い色のナレズシとなる。マンダレ−では笹の葉で包んだオシズシのようなものもあった。
 ナレズシは1年を通してマ−ケットで売られているが、特に雨季になると大量に出回るようになり、さらに乾季では見ることがなかったエビのナレズシも売られていた。

ナットウとその加工品
 ミャンマ−は中尾佐助が提唱したナットウの大三角形の西端に入り、「ペ・ボ−」と呼ばれる日本と同じ無塩糸ひきナットウを見掛ける機会が多い。このナットウの大三角形の頂点にネパ−ルと日本があるが、もう一つの頂点に1996年 5月、渡部先生を団長に訪れたインドネシアのテンペと呼ばれる無塩ナットウがある。これらは同じナットウの系列であるが、発酵のためのスタ−タ−は異なり、ミャンマ−、ネパ−ル、日本の糸ひきナットウは細菌、インドネシアのテンペはカビである。さて、ミャンマ−のナットウは無塩と有塩のものがあり、ヤンゴンではタ−メリックで着色されているものもある。また、糸ひきナットウを代表とする「原始ナットウ」だけではなく、「高度ナットウ」と呼ばれるものもある。これは発酵途中のナットウを挽いて碁石状に丸めたり、薄く延ばして乾燥したものや中に唐辛子、草の根を入れたものなどがあり、そのバラエティ−の豊富なことに驚かされる。
 ナットウの起源地域は雲南省周辺だと考えられており、隣接地のミャンマ−には早い時期に伝播し、長い歳月の中で加工度の高いものも作られるようになったと考えられることから、起源地域に隣接しているシャン州で「原始ナットウ」や「高度ナットウ」が作られ利用されていることも十分に理解することができる。 ナットウの調理方法はトウガラシ、ニンニク、野菜、ジュと呼ばれる草の根、揚げ魚などと炒めることが多く、日本のナットウと比較して粘り気が弱いこともあり、出来上がった料理はパラッとしている。ナットウの加工品はトウガラシやニンニクと一緒に油で炒め、他の材料を加えて煮たり、ス−プに溶かして料理のコクを出すのに使われていた。
 パガン周辺で作られる有塩のナットウの「ぺ・ンガ・ピ」は肉や魚を炒めるときに使用される中国のトウチ−を柔らかくしたような調味料で、味もよく似ていた。

トウフとその類似品
 トウフは中国で発明されて東アジアや東南アジアに広がった食品で、おもしろいことにミャンマ−は「タゥフ」、インドネシアでは「タフ−」とほぼ同じ発音で呼ばれている。ミャンマ−のトウフは大豆を原材料にして作られ、その触感は日本の木綿ドウフを硬くしたようなものである。冷やっこのように生食することはなく全て加熱調理され、中華料理のトウフの扱いとほぼ同様であった。この豆腐と原材料も製法も異なるが「シャン・タゥフ」、「サン・タゥフ」と呼ばれているトウフの類似品がある。
 シャン・タゥフはシャン州の人達の大好物である。黄色でウイロウのような外観と触感をしており、トウフと同じ様に四角く切られて売られている。原材料はヒヨコマメで、これを漬け水とともに挽いて大鍋で煮てから型に流して作る。細くウドンのように切ってサラダにしたり、一口大の四角に切ったものを揚げて食べる。インレ−湖畔にナットウを作っている村があり、調査に出掛けた時のことである。黄色の短冊状のものが至るところに干されている。始めてミャンマ−を訪れたときにシャン州のヘイホ−飛行場で売られていた乾燥した板状のものである。ユバのような味と乾燥ドウフと書かれていたことから、大豆の加工品だと思っていたのだが、シャン・タゥフを薄く切って乾燥した製品であることがわかった。これにはウドンのように紐状になったものもあり、シャン州出身者にとってはおふくろの味を思い起こさせる食品である。まさに百聞は一見に如かずで、思わぬ収穫を得ることができた。ユバはミャンマ−でも作られており、煮物に使われることもあるとのことだが、ヤンゴンやマンダレ−以外では見掛けることはなかった。
 サン・タゥフはウイロウの様な外観と触感をしており、シャン・タゥフとよく似ているが、白色である。原材料はウルチ米で、この粢を漉したものを大鍋で煮て型に流して作る。食べ方はシャン・タゥフとほぼ同様であった。



飲むお茶と食べるお茶
 最近、お茶は機能性食品として注目され、飲むだけではなく食べることによってその有効成分の摂取量を増やそうと様々な研究がされている。ミャンマ−では飲むお茶「ラペ・チャ」はもちろんだが、昔から「ラペ・ソ−」と呼ばれる食べるお茶がある。
 ここで茶の製造に関わっているのはパロウン族で、雨季を中心に年間を通して作っている。特に雨季の始めの頃は近隣から多くの人が茶摘みをするために出稼ぎに来るそうで、茶の製造も蒸した茶葉を揉んだり選別したりするのは機械を使用することが多いとのことだったが、私が訪れた8月末はこれらの作業は手作業で行われていた。夕方、茶を摘んだ村の人が戻ってくると庭の釜に湯が沸かされ、摘まれた茶葉は蒸し桶に詰められて次々と蒸される。蒸された茶葉は竹のござに広げられて手のひらで揉まれ、堅い茎や葉を取り除いて籠に入れて1晩放置する。翌朝、ラペ・チャ用の茶葉は干して乾燥され、ラペ・ソ−用の茶葉は発酵のための容器に詰められる。容器は竹筒や竹籠が多く、最近では運搬が便利な厚手のビニ−ル袋も使われている。竹籠や厚手のビニ−ル袋の中にさらにもう1枚ビニ−ルを敷き、茶葉の間の空気を抜くように足で踏み固め、少しずつ詰めて行く。これを早いもので1週間、長くても1年間、空気に触れないように密封して床下や納屋に放置し、発酵させる。古老によると昔は土中で発酵させたので、茶葉に土が付着するのを防ぐのに苦心したが、ビニ−ルを使うようになって大変便利になったとのことであった。
 ラペ・ソ−の食べ方はまずラペ・ソ−を油、塩、レモンなどで軽く調味する。これにニンニクの薄切り、ゴマ、ピ−ナッツ、カボチャの種などを揚げたものや干しエビなどを好みで混ぜて食べる。
 ミャンマ−で、茶は「ハレ」、「ケ」の別なく飲まれ、また食べられているが、特に同席する機会があった得度式や結婚式などの通過儀礼には欠くことができない食品であり、来客の接待にも必ず供される。ミャンマ−の代表的な工芸品にパガンの漆器があるが、中が仕切られたラペ・ソ−用が何種類もあることからも、長期にわたって生活に密着した食品であることを知ることができる。

ミャンマ−の食文化
 先に紹介した食品はミャンマ−の伝統食品の1部分であり、各地のマ−ケットで出会う多彩な食品には驚かされる。これらの食品を用いて作られる料理は多種多様で、ミャンマ−料理を規定することは困難である。これはミャンマ−が多民族国家であり、各民族が継承してきた食文化が多様なことも一因である。そこで私が調査をしたヤンゴン管区、マンダレ−管区、エ−ヤワディ−管区、シャン州で認められた共通点を中心に述べたい。
 ミャンマ−を含む東南アジアの大陸部は、南下してきた中国文化と東進してきたインド文化の影響を強く受けており、食文化においても同様である。台所を覗くと両手の中華なべとスパイスなどを擂り潰す石の臼または石皿と石の握り棒のセットが必ずある。前者は中国から後者はインドから持ち込まれた道具だと考えられている。包丁は牛刀からペティ・ナイフまで様々だが、まな板はほとんどが中国と同じ円形であった。 食事方法は東南アジア諸国でよく見られるように手食で、飯におかずをかけて混ぜながら食べるが、ス−プはスプ−ンなどの匙を使う。ただし個人用ではなくス−プ皿に入れられたスプ−ンを共用する。麺類もよく食べられているが、箸かレンゲを使用する。
 一般的な食事の構成はご飯、生または加熱した野菜に魚醤で作ったディップをつけて食べるト−サヤと呼ばれるサラダ、ス−プ、おかずで、味付けは5基本味に辛味を加えた6つのバランスを考えて作られていた。

<調味料>
 一般的によく用いられるのはニンニク、トウガラシ、タマネギ、生姜などで、コリアンダ−やレモングラスなどのハ−ブ類も用いられる。これらの大部分は生鮮品で、インドから伝えられた石製の道具で擂り潰して用いられる。ドライ・スパイスを多用するインドからこれらを擂り潰す石製の道具が伝えられたのにも関わらず、ミャンマ−ではドライ・スパイスはほとんど用いられていなかった。これらの特徴は隣接するタイと類似しているが、タイで多用されるココナッツ・ミルクはミャンマ−ではほとんど用いないし、料理に砂糖を用いることもなかった。
 旨味調味料は動物性のアミノ酸系である伝統的な魚醤が多いが、中国と隣接しているシャン州の東部では植物性のアミノ酸系である穀醤などが用いられている。また化学調味料の進出は凄まじく、小さな村の雑貨屋でも必ず見掛けることができる。酸味はタマリンドの漬け水やライムなどの柑橘類、さらには酸味のある野菜の葉、竹の子や野菜を乳酸発酵させた漬物などによるが、酸味のある料理が多いことから酸味に対する嗜好性は高いものと思われる。塩味はあまり強くないが、これは辛味や酸味が強いために塩味に対する要求が弱くなるためではないかと思われた。

<加熱調理法>
 加熱調理法は10数種類ある料理用語からも知ることができるが細分化されており、長い歴史の中で培われてきた食に対する意識の高さを感じさせられる。
 一般的によく行われる調理法は油煮である。これは中華なべに油を多めに入れ、擂り潰したニンニク、生のトウガラシ、タマネギを加えて香りを立たせる。この中にタマリンドの漬け水などの酸味を加えて蓋をし、食材から出てくる水分で煮込む。油の量が多いために我々には若干重く感じられる料理法である。しかし食品衛生の立場から見るとこの料理法は非常に理に適っていると考えられる。ミャンマ−の気象条件は多くの微生物の増殖に適しており、食品中の微生物の増殖を抑制する事は困難である。冷蔵庫などの普及も都市部のみで、低温で食品を保存することは困難だと思われる。油を使って食品を高温で加熱調理することによって、微生物に対する殺菌効果を十分に期待することが可能であり、油煮は優れた先人の知恵だと思われる。さらに出来上がった料理は油が表面を覆っていることから酸素が遮断され、また辛味や酸味が強いことからも、調理方法とともに微生物の生育を抑制する相乗効果があるものと思われる。ミャンマ−の油煮は、中国料理の特徴である「炒める」短時間の加熱調理法とインド料理の特徴である「煮る」長時間の加熱調理法の両食文化に認められる2つの要素を上手にアレンジした方法だと思われた。

<味の認知>
 食に対する意識の強さは、食味の形成にも重要な影響を及ぼす。味の認知として我々日本人は一般に5基本味とその他の味がある。すなわち甘味・塩味・酸味・苦味・旨味の5基本味と辛味・渋味などである。
 ミャンマ−における味の認知で塩味・酸味・苦味・辛味・渋味は日本と同様であるが、甘味と旨味は同じ言葉で表現され、さらに辛味がないと言う意味をも持つ。おそらくは料理に砂糖を使うことがほとんどないため、食材や調理法によって生じる甘味(タマネギを炒めると生じる甘味など)を甘い味の旨味としてとらえ、いわゆるアミノ酸系の旨味と同様に認知していることと、辛味の反対語として甘味が認知されてきたためではないかと思われる。また生クリ−ムなどの乳タンパクと乳脂肪と乳糖が混ざった味を好ましい味としてとらえており、セインという言葉で別に表現している。セインは乳製品を対象に表現されることが多く、乳製品を料理に使用することが極めて少ないことを考えると、普通の料理にはない特別な味を表現しているものと思われる。味の認知の種類はミャンマ−も日本もほぼ同様だと考えることができるが、旨味についてはアミノ酸系以外にも味覚の認知があることが考えられるので、調査を続けたいと思う。

おわりに
 ミャンマ−は政治的な背景から長い間鎖国状態が続き、また現政権も様々な問題を抱えていることもあり、世界各国との交流は活発ではない。そのためヤンゴンなどの大都市以外は、近代化や都市化の波による急激な変容が認められず今日に至っている。変容速度が遅いということは、継承してきた生活文化などの事象が比較的よく残っている可能性が高いものと考えることができる。特に少数民族が多く居住している地域にこの傾向が強いことから、日本との共通点も多く認められるミャンマ−の食文化について、今後とも調査を続けたいと思う。
 西はネパ−ルから東は日本に続く広大な照葉樹林帯に成立した照葉樹林文化圏には多様な民族が居住し、古くから物資や文化の交流は活発に行われてきた。そこに認められる共通した事象から考察すると、国境は極めて政治的色彩の強い地図上の境界線であり、人はもちろん、その生活を何ら規制するものではないということであろう。
 近年、我々は海外に行く機会が多くなってきた。海外への出国者の約45%以上がアジアを訪れ、これらの地域は我々にとって非常に身近になってきている。アジアについてテレビや書籍などのメディアを通して多様な情報の収集が行われ、我々の予備知識も豊富になってきた。海外で直接異文化に触れることは大変楽しいことであるがその反面では困惑することも多く、食文化の違いなどはもっとも身近に感じることができる異文化経験だと思われる。私はここ数年、アジアの国を訪れる機会が増え、それと同時に様々な異文化と積極的に接することが多くなってきた。そのような中で同じアジアの構成員であるにもかかわらず、アジア諸国についての知識の貧弱さに恥ずかしい思いをすることが多々ある。
 アジアは甘いのであろうか、しょっぱいのであろうか。その答はアジアに向かう私の姿勢にあるのかも知れない。答を求め、今後とも食の立場からアプローチを続けていきたいと思う。